涙が止まらなかったのは、失ったからでも、
なくなってしまったことへの
悲しみや懺悔の気持ちでもなく、
ただただ「生まれた」ということへの
ちょっとした驚きと、感動だったのかもしれない。
もちろん、悔しい気持ちも沢山湧いてきたけど、それ以上に
私を泣かせたのは、誰かの言葉やコメント、みんなのまなざしや
これからへの期待、そして相も変わらず存在している自分の心の光だった。
どうも、潜在意識と投影の秦です。
—-
(2013年3月の記事です。)
アメブロちゃんが消されて2日。
この数日で、どれだけ泣いただろう、と。
でも、これは赤ちゃんとして生まれてきた時みたいなものだ、と
ふと思ったんですね。
誕生のときって、私たち泣いて生まれてくるじゃないですか。
でも、周りはそれを観て、喜び、希望を感じ、そして感動をする。
今回、私は「ブログが消えた」のではなく
「私が生まれた」のだと思ったんですね。
まあ、もちろん、泣いている最中なんてのは
うまくいえない気持ちや、思考でぐちゃぐちゃなのですが(笑
でも、冷静に考えると、私のブログが消えたことによって、
そして、その後に燃え尽きるような気持ちで20記事書く!
と決意した行動によって、
誰かが感動し、誰かが喜び、そして「うまれた」私に希望を抱いてくれる。
だから、これは誕生なんです。
決して、ポジティブに捉えて、とか、前向きに考えて、とかではなく。
ごく自然に、ニュートラルに、今、そうやって感じています。
——–
少し話は変わるんですが、わたし昨日ある人に
「うまくいきすぎていたから、これで良かったんだと思う」
というようなことを
伝えてもらって、とってもびっくりしたの。
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