すごい自分だったら愛される、と思って
今の自分に足りないものを足したとしても、
それで愛されたのであれば、
足されたものが、愛の対象となる。
それを足したところで、
その部分を愛してもらっているのだから、
今度はそれを失うことが怖くなる。
私たちは、誰もがこうして自分ではない誰かになろうとして、
そして、身につけて、
失うことを恐れる。
はたして、本来どうあるべきだったか?
それを思い出すために
一度赤ん坊に戻れたならと思うのだけど、
成長しきってしまった頭と身体は
こころだけ置き去りにしてしまったよう。
自分をとりもどそう。
ありきたりな表現だけど、
何かを足したところで愛されるというわけでもなければ、
何かを失ったところで見放されるわけでもない、ということ。
それを証明するために、
最も必要で、最も大切で
もっとも愛おしくて尊いものを差し出し、
解放するのです。
それが自分であろうと、
恋人であろうと、
こどもであろうと、
お金であろうと。
自由にしてあげることで、
それらとの繋がりはもっともっと増してくる。
何を抱きしめていますか。
窮屈なのはなぜですか?
どこを愛してもらおうと頑張っていましたか?
昔の私は、
いろんなものが自分にあれば、
たくさんの人から愛されると勘違いしていた。
今ではわかるんです。
何も持っていない身軽なわたしのほうが、
よっぽど素敵だって。
落ちない化粧をして
きれいな自分を愛してもらうよりも、
ぐちゃぐちゃに泣いて
ぼろぼろに崩れた顔に微笑んで欲しい、と
私なら思います。
あなたはどうですか?
——
い、いそがしすぎて、
ブログが書けません・・・。
とりあえず、
気付いたらこのリーディングカードの販売も終わっていたのですが、
買いそびれたよ~という声がたくさんありすぎたので、
ほんの少しだけこちらで再開します。
次は見逃さないでくださいね~!!