わたしのような仕事をしている者は、
「意図して生きよ」とよく言うことがあります。
それは
自分で自分の人生を決定してくださいね。
ってことでもありますが、
それ以上に
「自分の現実は、過去の決定で作られていますよね」
っていうことでもあります。
この法則、あるいはこの言われは
ある時はわたしたちに、未来へ進むチカラを与えてくれるのですが、
そうではないときも大いにあります。
苦しい時は、
意図的に何かを思うことをやめてみる、
という勇気も必要です。
わたしはこうでありたい。
あの人にこうであってほしい。
これについてはこうであってほしい。
そんな「意図する」チカラは時にわたしたちを強くしてくれますが、
そうでない時に、無理矢理なにかを「意図する」ことは
苦しみの原因に他ならないのです。
わたしはよくこう講座で言います。
「決めるのではなく、決まっていくのに気付くこと」
これこそ、一種の「意図しない」ということでもあるのです。
自分と他人と世界をコントロールしない、ということですね。
意図するのではなく、
「意図されたこと」を読み取るチカラ
見えない自分の「可能性」を信頼するチカラ
それは
自他ともに「試さない」「戦わない」生き方
でもあると言えます。
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ただ、ここで矛盾が生じてきます。
意図しないでください、と言う割に
別の方面から言わせれば
「もっと意図して生きてください」と言うこともあります。
この日本語の矛盾は
永遠わたしにつきまとう葛藤かもしれません。
とにかく言いたいことはこうなのです。
「意図しながら、意図しない生き方をしてください」と。
うーん…。
未だにこの感覚のうまい表現が見つかりません。
が、なにか伝わればいいなと想います。
その矛盾の中でやっぱり思うことは、
わたしたちは
どれだけあがいたとしても
用意されているものがあるのなら、
それを受け入れ消化し、感謝して生きることがベストなんではないか、と。
そういうことです。
潜在意識を学んでいると、
どうしても見えないチカラがあるようにしか
思えなくなってきます。
例えば誰かを好きになること。
そしてそのタイミング。
例えば何かをやろうとすること。
そのタイミングと、出来事の見事な繋がり。
よくよく見ていると、すべてがすごい重なり、
タイミング、そして順番で出来ていると思えませんか。
ひとつひとつの現実をひもといていくと、
その奥にあるメッセージがほんのり顔を出してくるのです。
それこそが「潜在意識の醍醐味」
だから、
正確に言えば
現実を変えるために、とか
自分を変えるために、とか
世界を変えるために、
潜在意識を変えるのではなく。
そこを意図するのではなく。
「自分の存在には意図がある」ということを知ること。
そうすれば自ずと、
「何を意図すればいいのか」が分かってくると思うのです。
もうそこまでくると
「決断」することや「選択すること」に無理なチカラが入りません。
特に悩むことも、困ることも、そして
緊張することもありません。
「自分という存在には意図がある」ということが分かれば、
後はそれを信じて、
あらゆる側面を「試さない」ことが大切だと言うことです。
何かや誰かを試す、ということは
信頼しない、という思考を送り出すことになります。
そうすれば、試した分だけ疑いがかってくるのも当然ですよね。
本当は強い「意図するチカラ」が
自分のことを疑い、試すことにならないといいな。
そう思いながら、いつも潜在意識のこと考えています。
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あーん。
何日もブログ休んでいたし言葉を書くことをサボっていたので、
またもや感覚を言語化するのが難しくなっています…。
とほほ。
でも
そんなのおかまいなし!!に
今日は久しぶりのメルマガを発行します。
夜18時配信。
先日の新月にまつわることや、
これから先の流れなんかも、書きますね。