感情的な世界って、
嫌なフィルターで見れば醜い自分が映るけれど、
心地よいフィルターで見ることが出来れば、
ものすごく味わい深い瞬間を見つけることが出来る。
わたしたちは、
ひとつひとつの感情で、自分を発見し見つめ直し、
そして前提をどんどんクリアしていく。
そういうゲームなのだと割り切れば、
・感情的な自分を変えたいのですけど
とか
・もっと感情をコントロールしたいのですけど
とかいうことはなくなるのだ。
とてつもない感情を感じたとき。
それに対して「抵抗せずして、流されもしない」
という状態を見つけること。
その訓練だと思うこと。
そうすれば、今まで嫌がっていた感情は
とてつもない豊かさの元のなるのです。
だから、わたしは振り返ると思うのです。
心理学をやって、
スピリチュアルをやって、
感情が治まるどころか、
どんどん、感情が出てくるようになった、って。
味わおうとしてこなかった感情を、
自分の一部と認め、それを受け入れる強さが身に付いたから
「こそ」の感情の溢れ出なんだ、って。
そう、まいかいすごく感じるのです。
—
辛い、苦しい、絶えきれない感情の最中にいるときは気付かない。
でも、ちょっとした意識ですぐに
別世界に移動することが出来ます。
先日わたしは、
ひさしぶりに、自分がいちばん苦手である「嫉妬」という感情を
とてつもなく感じることが出来ました。
と、同時に、
本当に辛くて苦しんでいるのは、嫉妬心「そのもの」ではなく、
「それをなかったことにしよう」としている自分や、
「その感情を早く消してしまいたい」と思う自分がいること、
そのものが苦しみの原因だったと気付いたのです。
そうです、
嫉妬という感情「そのもの」は私を苦しめません。
感情は、ただの感情です。
でも、その感情に対する抵抗や、
「はやく消えてしまえ」という無意識の反抗こそが、
感情と思考の摩擦を生み出し、
その狭間でゆれるのだ、と。
それに気付いたわたしは、
今までにはない行動をはじめてとってみることにしたのです。
そう…
「今、わたしは嫉妬している」と
素直に表現してみたのです。
しかもFacebookで(笑
ダイレクトに(笑
一目も気にせず、そんなのおかまいなしに。
え?そんなこと普段からやっているよ?
という人もいるかもしれませんが、
わたしにとってこれははじめての試みで。
今までは、感じた感情を一度分析して、
「なかったこと」にしてからでしか、
冷静になれなかったんです。
でもね。
感情に対して、
攻撃性を持って誰かに向けるのであれば、
それはいずれ自分にかえってきます。
ただ、それに対して誰に言うでも攻撃するでもなく、
「わたしは、こう感じているのだ」と表現することは
一種の解放だと思いました。
わたしがその感情を解放した後、
私の中の嫉妬心は、とても豊かな学びになりました。
感じながらも、苦しみながらも、
「どうして自分はこんな感情になるように
わざわざ現実を見ているのだろう?」って
考えることで、
自分の中で抜け道となる先が見えたのです。
「なるほど、わたしのこの前提意識が
この現実を見るように仕向け、創り上げ、
そしてこの感情を感じているのだな」
って。
そうともなれば、
苦しみであったとしても嫉妬心には大感謝です。
だって、わたしのなかにある
「わたしを幸せにしない前提意識」を教えてくれるのですから。
気付いたら、後はお得意の
スルー(通過)作業。
ここらへんは、わたしの得意分野なので、
手放しをしたら、あとは放置です。
嫉妬心はその後もしばらく続きましたが、
「なーんだ、それくらい好きなのだね、わたし」
くらいにまで、
かわいいと思えるようになったのです。
——
いつも自分で言っていることなのですが、
感情に善し悪しはありません。
あるのは、その活かし方だったり表現の仕方だけなのです。
感じた時に、自分の中でいかに
感じたまま入り込んで、かつ動じないか。
(揺れない、ということではなくて、
真ん中では動じない、というニュアンスで)
それを毎回練習しているもんだなーと思えば
いいのかもな、と思います。