誰かや何かを支配したくなったとき、
あるいは「コントロールしたい」と想っている時。
わたしたちは、密かに
誰かや何かに支配されたい
と願っています。
人は、自分がされたい、と思っていることを
誰かに無意識に投影し、
その対象に対して行ってしまうことがあるのです。
ただ、それが愛からなのか、
恐れからなのか。
冷静に見極めることが大切。
では、
「支配されたい」「コントロールされたい」とは一体…?
—-
今日は「支配」というテーマを解析していきたいと思います。
誰かを支配したい、あるいは
誰かや何かの現実をコントロールして
自分の都合の良いようにしたい、と思うことってありますよね。
というか、そういう気持ちに苦しめられてしまうのですが。
まず、大前提として
自分が苦しめられる感情や思考は
「手放す時期がきた何かの思い込みや感情」
を教えてくれているもんなのだ、
と覚えていてください。
支配したい、と思考で思うとき、
わたしたちの潜在意識の中では別のことを願っています。
そもそも、潜在意識の領域では
自他を区別できないため、
「他人を支配したい」
=
「自分を支配したい、コントロールしたい」
と思っていることになります。
普通の人なら
自分のことを支配されたくない、コントロールされたくない、
自由でいたい、と思うのが普通でしょう。
でもね、違うんです。
—
支配されたい、というのは
別の表現で言えば
「守られたい」ということです。
あるいは、支配されたい、というのは
「自分のことを大切に思っているという
愛情表現をしてほしい」
という気持ちの現れでもあります。
「支配」という言葉だけを聞くと
何やら不自由な感じがしますが、
何もない、自由奔放で、完全にひらかれた世界に投げ込まれると、
ちょっと焦ったり、不安になったりしますよね?
壁がない大草原にいるよりも、
狭い箱に入っている方が、安心する、ってこともあるのです。
つまり、
支配される、コントロールされる、という状況は
一見するとネガティブな現象に思えますが、
実は心のどこかに密かな安心感を抱いています。
—
恋愛や家族関係において
「支配されている」「コントロールされている」
と感じるパターンも同じです。
相手はあなたを支配していません。
支配することもコントロールすることも出来ません。
ですが、どこかで間違って覚えた
「支配されること=愛されているということ」
ってな思い込みが強いと、
頭ではいやがっていても、ずっと支配されていたり
コントロールされるという安心感を得ようと
潜在意識がそれを繰り返してくれます。
だから「支配」「コントロール」してくる相手を創りだすわけです。
誰かにコントロールされたい。
支配されたい。
それが、「愛している」の表現だから。
…みなさんの中にはそういう気持ちはありませんか?
あるとすれば、今それをただ受け入れてみる、ということがとても大切です。
—
でも、
本来は支配されることもコントロールされることもなく
「自由であり、解放されている」
というのが真実なのです。
でも、それを怖がっている時というのは
単純に自分が大空を飛ぶことに対する恐怖が強いとき。
つまり、
「自由や解放を何よりも恐れている時」
なんですよね。
だから自分も支配されていたいし、
相手のことも支配したい。
「それが、愛しているってことだから」と。
—
ほんとうに、その形で良いのだろうか?
ほんとうに、その表現で愛は伝わるのだろうか?
ふとしたときに、そう考えると
答えが既に出るはずです。
ただ、その答えを受け取り、飲み込み、
実践することが怖いのです。
ちょっとこうやってクリアリングしていくと
いろいろな謎が解けると思いませんか?
支配される側と、支配したい側は
いつも表意一体となって繋がっているんですよね。
—
じゃあ、どうすればいいですか?と言われれば
「支配されたいと思っている」ことを
ただじっと観察してみることから始めます。
・わたしは、どんな風に支配されたいと思っているだろうか?
・他人に何を任せてコントロールされると安心だろうか?
・自分で自分の意志を貫くことが怖いのだろうか?
そういう問いかけからはじまっていきます。
自分が支配されたりコントロールされることに対して
メリットを感じなくなれば、
そのうち他人を支配したりコントロールすることにも興味がなくなります。
誰かや何かにコントロールされることで守られる必要はないのだ、
と分かるからです。
ね?シンプルっちゃ、シンプルでしょ?潜在意識って。
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恋愛や家族関係、人間関係というのは
こういった「支配されたい恐れ」みたいなのに
気付かせてくれるいちばんのきっかけなんです。
だから目の前の人、相手、現象は
全てダミーだ、と思ってみてください。
本当は誰に対しても支配やコントロールという表現で
愛を伝えることが出来ないのだと知れば。
あなたが受け取る愛情表現も
「支配」や「コントロール」じゃなくなってもいいわけです。
手放すことにやっきにならずに、
そっと問いかけからはじめてみてくださいね。
自由とは、時に恐ろしく寂しいものです。
自由は孤独です。
自由は風当たりが強いです。
自分を守ることと、
自分をガードすることは違うのだけど、
何かしらの問題や生涯、
支配されるという現実を十通して自分を守り通す必要はもうありません。
そもそも、
「いつか死ぬ」のだから
丸裸で世界に飛び込めばいいじゃないか?
そう、私の中では結論が出ています。
—
だからといって、完璧なわけではありません。
わたしも、ついつい支配したり、コントロールしたくなります。
そういう時こそ思い出したい。
支配やコントロールは
愛の表現ではない、ということを。