みんな本当の幸せから逃げてる。
わたしも、逃げてる。
逃げて逃げて逃げるから、
目の前に追いかけたい何かが常にある。
お金や時間や、地位や名誉や賞賛や結果や。
追いかけているようで逃げてるんだ。
頑張らなくなったら、
追いかけなくなったら、
本当の幸せが自分に追いついちゃうって、そうやって逃げてるんだ。
—
わたしもまだまだ、
そのうちのひとり。
まだまだ頑張って生きてるなーと思うことばかりです。
偉そうにいつも語ってるけど、
そうじゃないことも、
そうじゃないときも、
そうじゃないわたしも、
たくさんこの世にはいるんです。
—–
そんなのも、まぁ、いいじゃないですか、
ゆっくりいきましょうよ、と
わたしの中の誰かが言う。
そういう感じでどうやら、
良いみたいですよ、と。
生々しく、ねって
優しく言ってくれる。
そんなこんなで、
やたらめったら自分の本当に望んでいる幸せとは何か?を、
四方八方からいつも教えてもらってます。
苦しい感情が教えてくれます。
あの人から、この人から。
平気なふりしている時がいちばんやっかいだったりするのです。
そういう時は、降参します。
はい、降参!って。
逃げるのをやめるのではなく、
逃げていることを認めるだけなんです。
—
で、気付いてます。
自分の一番求めているものに。
でも、まだまだ気付いていないふりをしてます。
多くの人は、
この何とも言えない曖昧さを許せなくて、
わかっているのに、逃げ続ける自分を許せなくて。
はやくはやく、はやく進もうとする。
はやく、ホンモノの幸せとか愛とかをGETしようとする。
でもまぁ、気付いていても
まだそこには両手が広げられない自分がいるっていうことも、
まずは認めてもいいと思うんですよね。
だから、わたしは
多分、まだ少し逃げます。
疲れるまで、逃げられるところまで、
もはやそれは「逃げ」よりも
ただの「鬼ごっこ」なのかもしれませんが。
そして、そんな自分を別に恥じないからこそ、
ここにこうやって書いちゃったりもするわけです。
いや、書かないと死んじゃいそうになるから、
こうして全ての断片を残していきたいって思うのです。
生々しいねー。
それでよかよか。
ってね。
自分にゆうてみたりするんです。
。