陽ばかりを、人に見せようとするから、
自分の陰が襲ってくる。
人と、自分の思う「私のすばらしいところ」
だけで接したいと思うから、
人に言われる自分の「陰」に、
ビクビクっとしてしまう。
多くの人に好かれようと、好かれようと、
「好かれる人」になろうとすると、
「人から好かれない自分」が表に出てくる度に、
おどおどし、びくびくし、不安になってしまう。
そのうち、
「あれ、わたし、いったい何をしようとしていたんだっけ」
と思うようになる。
こういう仕事をしていると、
そんな場面に出会うことがたびたびあります。
世界に自分を明け渡していくとき、
決して「陽」の部分だけでは、うまく前に進めません。
そこに「統合のチカラ」が加わるので、
自分のすばらしき点をばかりを、
すばらしいと思うことばかりを、
そんな「創られた自分だけ」を見せつけようとする分、
潜在意識は、「陰の自分と統合してね」って、
いろんな場面で己を見せてくれるようになります。
後悔、
懺悔、
屈辱、
侮辱、
愚痴、
被害者意識、
これら、すべて「陽」に対する「陰」のバランスとして、
目の前にやってくるリアルな現実でしょう。
でも、わたしはそれでも「大丈夫」だと言いたい。
陰が襲ってくる、と思っているときは、
だいたい自分の「陽」だけを見ていてほしい、と
思っているときだから。
で、
それに気づいたら今度は逆をしてみるのです。
簡単に言えば、
「してはいけないこと」をしていくのです。
今度は自分の陽ではなく、
「陰」をさらけ出してみる。
「陰」を自分の中で押さえ込んでいた分、
それが出てくるときは、一時的な反応に苦しみ。
ニキビみたいに、
最初はうっとうしくて、いたくて、そして醜い。
でも、それを越えられたとき、
私たちは一体になる。
それでもいいや、ってその先に「光」が見えてくる。
—
後悔に何かしら「頑張って意味付け」をしても、
全然、効果はなく、
むしろまた、その後悔が押さえ込まれて
自分の「陰」にビクビクする生活が始まるのだろう。
だから、頑張って陽を見せる必要もなければ、
頑張って「陰」に対して「陽」の意味付けをする必要もない。
・・・わかっちゃいるのだけど、
それが簡単には出来ないのよねー。
そんなことを、ヒシヒシと感じております。
ども冒頭が長いと有名な(?)秦です。
—-
生きていれば、怒られることもけなされることも、
自分がとてもとてもとても大切にしていることを
超個人的な感情で踏みにじられることも、あるだろう。
「伝わらなかった」
「伝えたつもりなのに・・・」
「頑張ったのに、届かなかった」
「頑張って、一生懸命やったのに・・・」
そうやって、後悔することも、多々あると思います。
実際に、ここ数ヶ月は本当にそういうことが多くありました。
自分が一番大事にされているところが、
一番ビシバシと叩かれてしまう、そんなようなことが。
—
でも、決してこれは、相手が悪いわけではない。
かと言って、自分が悪い訳でもない、と思っています。
すべてのことは、そこから
「己の感じる学び」を得た時点で消化され、
浄化されていくものですから、
誰が悪かった、誰が良かった、
だとかいう簡単な話でとどめておくのは
ちょっともったいない、とも思っていて。
でも、
何かに対して「頑張らんでもいいことを頑張る」
という行動は、実は最初の方に書いた
「自分の陽だけを見せる」
ということでもあります。
そうするとね、面白いくらいに、
後から後から「陰」ばかりが襲ってくる。
「おーい。お前、陽だけで生きていきたいと
思っているだろう」
そんなことを叫びながら、追いかけてくる(笑
みなさんも、そんなことはないですか??
—
お恥ずかしながら、
私にはまだ、その癖があるみたいです。
どこまでも陰とつきあうと決めたはずなのに、
いずれにしても自分の感情的な満足を満たすのは、
「陽」に対する世界の反応だけなのだから。
ついつい人は、そればかり、求めてしまうのですね。
でも、これまた投影の法則と一緒で。
私たちが思考(顕在意識)で自分の陽を追い求め、
それを極めていくときに、
潜在意識では、同時に「陰」が極められていく。
それを嫌がって、陽の方に傾こうとすれば、
やがて、陰に強く引っ張られる感じがしてくる。
人も自然も宇宙も、「バランス」がお好きなので
この法則とは付き合っていかないといけませんが、
目の前に「陰」の出来事が現れた時期は、
「自分が頑張って陽を極めた結果」だと思ってみてください。
表面上の慰めにしか、なりませんが、
そういうものだと思っていると、
自然に意識が「真ん中」にいくようになります。
そして、
好きになってもらうために生きる、を
もうちょっと越えた先のヴィジョンを。
すごいと思ってもらうために生きる、を
もうちょっと大きな視野で。
自分の才能を発揮して生きる、を
もうちょっとだけ、ニュートラルに。
そういう意識でいると、自然と自分も拡大していきます。
苦しいことを経験すると、
人の目には見えにくい優しさとか、頑張りとかに敏感になりますよね。
よく言われる「他人に優しくしましょう」
というのと、
「苦しい経験をたくさんしましょう」
というのは、一緒な気がしている。
そんな今日このごろでした。
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…と、そんな今日このごろと書いているのは
2013年7月の過去記事でした。
うーん。
なんか、今と文章のノリがすこしちがいますね。
おもしろいですね。はい。