昔わたしは、過食症だったの。
お腹がすいていないにも関わらず、食べていないと不安で、
一日5食が普通。吐いたりもしたし、結構たいへんだった。
で、今日コンサルしててふと言ったことが
これまた結構自分の中でヒットしたのだけどね、
「考えすぎる人」のクセって、
この過食症に似ているな、って思った。
お腹すいていないのに、食べる。
実は悩んでもいないのに、考える。
この二つは、非常に非常に似ている。
カウンセリングをしていると、ほとんどの場合は
「悩まなくても良いことについて考えすぎて
どんどん迷路にハマり、結局何を悩んでいるのかさえ見失う」
みたいな状況で。
本当はみんな、悩んでいない(笑)
答えは既に出ている。
でも不安だから、悩んでいたい。
自分の答えに自信が持てない。
答えが正しい証明が欲しい
(ほんとはそんなの必要ないと知っていても)
だからずっと考えていたい。
もはや、悩んでいないことが不安、みたいな。
考えていないと不安、みたいな。
それって「食べていないことが不安」みたいな感じと一緒。
——
ちなみに、過食を治したのは「空腹」に慣れたから。
自分の中に感じる空虚さに慣れたから。
そもそも空腹なことも、空虚なことも
寂しさがあることも、
何もおかしい人間ではないと分かったから。
そうじゃないと、さみしいって感情とか孤独って感情とか
「なんか足りない気がする」みたいなもんに
勝とうと、勝とうとして、頑張っちゃう(思考を食べちゃう)んだ。
空いた隙間を食べ物で埋めるのと、
空いた隙間を思考(悩み)で埋めるのと一緒。
腹が減ってなけりゃ(別に考える必要がなけりゃ)
食べなくても良い(考えなくても良い)
それでもそれでも食べちゃう(考えちゃう)人は、
まず空腹(空虚、寂しさ、孤独、不足感)とたたかわないで、
おなかすいたな~(さみしいな~孤独だな~)を
味わいきる練習をするといいかもね。
———
で、もう一つ。これも今日のコンサルで出てきた話題なのでシェア。
この業界(?)にいると、
思い込みを手放せば楽になれる!とか
潜在意識の思い込みを書き換えれば、現実が変わる!と言われている。
ただし、本末転倒な場合、多々あり。
それはどういう状態かと言うと、
「そもそも、なぜ書き換えなければいけないのか?」
っていう質問に対して、
「いや、書き換えなければこのままじゃヤバいでしょ!」
っていう感じの回答の時だ。
大体の場合は、そもそも今の自分を否定しているから
何をどうやっても進まない。
闇雲に思い込みを手放そうとしても手放せない。
過去の自分に心から感謝してもいないのに、
未来に都合良くいいもんだけを残したいってのは、
なんていうかな…うん。
クサいものに蓋をしているだけっていうか。
メルマガにも書いたけど、
「山登りがそもそもキツい」状態なのに、
登る山だけ変えても意味がないのと同じ。
そのキツさ、山を登ることに意味を感じていないのに
登る山を変えても、キツさは変わらない。
そもそも自分を否定しているのに、
どんな思い込みを書き込んだところで
腐ったスポンジケーキに新しい生クリームぬってはやめ、
ぬってはやめの状態。ちゃうやん!クリームちゃうくて、
スポンジからなんとかせな!
そんなんで、潜在意識にブロックがあるとか
書き換えられませんとか、わかっているけど手放せませんとか…
いやいやいやいやいやいやいや。違いますのん。
「書き換えなければいけない」と思っている状態では
何一つ変わりません。
どうすればいい、とかじゃありません。
私たち苦しめていた思い込みたちは、
時が経つとともに着れなくなるお洋服と同じ。
衣替えが来ているの。
服(思い込み)が悪いわけではない。あなたが悪いわけではない。
そういうタイミングがきたってことなんだ。
だから、今まで自分を守って支えてくれていた思い込み
(例えそれがどんな現実を生み出していようと)
それに心から「ありがとう~感謝だわ~でも、ごめん、もう着れない」
って思えるか。思えるまでね、その洋服は捨てられへんのよ。
潜在意識を整理するってのは、心のクローゼットを整理するのと同じ。
着れなくなった洋服(古い思い込み)はありがたみを持って捨てて、
新しい着たい服を自由に買えばよいのであーる。
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これは昨日、Facebookにシェアしたことでした。
つまり、、、、、
そういうことです。(ズコッ!)
悩んでいなくても、OKなんです。
考えなきゃまずい、だなんてことはないんです。
人の脳みそはかなり優秀につくられています。
ほんとうに不安に思う「その状態」になったら
人は必ず「解決策を見つけるモード」になり、
そして、見つけることが可能です。
だから、
「起こっていないことにしか、人は不安になれない」
ちゅうこと。
そういうことです。(二回目)