問題を作る時は、
(問題があると頭を抱える時は)
特定の幸せしか見えていなく、
そこにたどり着けないだろうかと不安に思って何かを問題視する。
条件付きの幸せや喜びにしか焦点が当てられていないから
人は何事でもないことを問題視する。
そして、気づかない。
それはとてももったいないことなんだ、と。
架空の完璧さの中に幸せを封じ込めるとこうなる。
あなたの理想通りになってもあなたは幸せじゃないからこそ、
そうならないように、なっているんだよと言っても聞いてくれない人が多い。
その中で、不完璧さを呪うどころか心から愛し、必要とできたなら
閉じ込めた幸せではなく、解放された無条件の幸せを受け入れることができるようになるのだろう。
不完璧さの組み合わせの中に
完璧を見出すのだから、
現実は常に不完璧でなければならないと思っている。
そうでなければ、わたしたちの創造力は発揮されない。
心眼というのも無くなってしまうだろう。
真心も思いやりも、
すべては不完全な世界の中で起こりうるものだから。
不完全な織りあい、重なりを感じて、
そこに美しさを感じた時に
素晴らしいフルネス(充満)を感じる。
そうやって人は、じぶんや他人や自然や社会と融合していく。
決して一人ではできないこと。
溶け合うあたたかさは、一人では体験できないものなのだ。
幸せとか喜びではなく、
わたしはフルネスのほうが、しっくりくる。
条件付きではなく、
すべてのものにフルネスを感じる。
どんなものであろうと、
今そのような形であることに
満たされた気持ちを感じる。
満足とはまた違うフルネス。
まだ適切な言葉が見つからない。
人は幸せとか安心とか
条件付きの扉をくぐって誰もが皆、
このフルな状態にたどり着きたいと思っているんだ。
お金を稼ぐのも、
人に好かれたいのも、
仕事をするのも。
だったらまず、フルネスを定着させようではないか。
筋トレのように。
ボイトレやタイピングの練習のように。
何度も何度も身体に浸透させて覚えていく。
そのうちそれが、当たり前になる。
フルネスの定着。
次はこれをテーマにやります。
そんなわけで、昨日から
バージョンアップ、どうぞお楽しみに!
写真は前回の様子、全員じゃないけど集合写真。(^_^)