【スポットライトではなく、そのままの自分で既に輝く】
わたしたちが、
わたしたちの内側にある輝きを放つことが
一つの大きな仕事なのだとしたら…。
わたしたち自身が輝くことで
周りが照らされ、人々は光を見つけることになるだろう。
でも、自分を照らすスポットライトに依存をすると、
そのスポットライトが生み出す影に気を囚われてしまう。
この時のスポットライトというのは
お金、結果、数字、他人からの評価、
正しいことをどれだけしているか…etc
つまり、自分自身以外のところの光、ということ。
本来、自分をより強く輝かせるためのスポットライトはサブであり、
サポーターであり、主役ではない。
舞台に立たされてスポットライトがなければ、
確かに演出としては物足りなさがあるよね。
でも、一番大切なのは自分自身の中から出るもの。
自分の中から放出させる光のほうだ。
人生の主役をスポットライト
(お金、結果、数字、正しさ、他者からの評価…)に譲り渡していないか?
日々の思考が、スポットライトのことばかり
考えている状態になっていないだろうか。
スポットライトの数も大切だけど
自分が主役であること、
自分自身から光を放つことを忘れていないか?
いつだって、自分が輝くことが大切。
自分の中から気持ちいい感情、
気持ちいいパワー、
気持ちいい言葉や、
気持ちいい視点が出ることが、
生きていく日々においては大切なんじゃないか、って思うの。
輝く自分が自分を生かすのではなく、
輝いたことで照らされた人々の笑顔や喜びが、
自分自身を照らす。
だからほとんどの人は、
自分の好きなことをやって、誰かに喜んでもらいたいと願うのでしょう。
そして、それはある種の「責任」「覚悟」みたいなものね。
自分から決めないと、
潜在意識は言うことを聞いてくれないから。
マイナスの感情をひきずったり、
掘り下げて原因を見つけたら安心してまた掘り下げて…
と、そこにしがみついたり。
いつまでも自分の問題というものと
「向き合っているフリをして輝くことから逃避する」
なんて、時間の無駄よ?
わたしたちはいつか必ず死ぬのだから、
そのいつか、を平均寿命だと思っちゃダメなの。
いつか、は「今すぐ」やってくるかもしれない。
だけど、負の感情を「感じてはいけない」ということが言いたいのではなくって
「自分の感じる感情に責任と覚悟をもつ」ってこと。
それは、自分が自ら輝くことを決意するってことだし、
スポットライトのことを気にするのではなく
まず自分の状態を気にすることでもあるし、
やりたいことあるなら有無を言わずやれってことでもあるし、
結局ど根性論なんだけど…(笑)
まぁ、でも、スポットライトはサブだよ、ってことが
言いたかったの。
だから、想考えた時に、
あなたの悩むことは、そこ?そのポイントで悩みや
問題視点をつくり続ける必要はあるかしら?
もっと、感じたい大切な部分があるんじゃない?
ということ。
そういうことなのだ。
自分が舞台の主役だ、っていう意識があれば
きっとそれらに対する接し方や責任も、変わってくる。
あなたは、主役だ。
まぎれもなく、主役だ。
ありきたりな表現だけど、みんなが主役だ。
でも、
きっとどうしようもないときってのは、
その主役の座を、何かに譲り渡し、
気付かぬうちに自分の存在意義がわからなくなっているんだ。
生き返ろう、立ち戻ろう、
主役の座が今、空いていると思うなら。
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