たとえば今目の前にある問題が
「するっ」となくなったら
幸せ、ハッピー!
になれるかと言われれば、
必ずしもそうじゃないこと、ってあったりする。
一つの問題がクリアされることによって
何かが不自由になったり、
一つの問題がクリアにならないことによって
何かが自由でありつづけることが出来たり。
例えばやりたいことが見つからなくて
それをなんとかしたいと、もがいていたとしよう。
で、そこで「見つかったら」
ハッピー!
となれるのか、と言われれば
見つかったら見つかったらで、
そのやりたいことに向けての日々が始まる。
その日々が始まるとともに、
その日々についてくる
また別の問題が生まれるかもしれない。
「やりたいことが見つからない」ことによるデメリットはなくなったけれど、
「やりたいことが見つかった」ことによるデメリットも、
同時に生まれることになるんです。
—
こんな気難しいことを言っていますが。笑
シンプルに、悩みは悩み、
解決したいことは、解決したいこと!
でいいと思っています。
でも、
それは「絶対」ではない、ということ。
「それ」がなくなれば、わたしは「絶対に」幸せだ、
なんていうことはない。
「それ」さえあれば、わたしは「絶対に」ハッピーだ、
なんていうこともない。
わからないのです。
解決してみなければ。
問題がなくなってみなければ。
悩みの種がなくなってみなければ。
本当にその先に「望むものがあるかどうか」
というのは、わからないんです。
ですから、
「多分」くらいでいいんじゃないかしら、と。
「たぶん」これが解決したらわたしは幸せになる。
「たぶん」わたしがこう変わったら、現実も変わる。
「たぶん」これがあれば、しあわせ。
「たぶん」これがなけrば、しあわせ。
「たぶん」の魅力は、
わたしたちをニュートラルにしてくれるところ。
問題や悩みにしがみつく力を弱めてくれます。
「解決したら楽になれる、かもしれないけれど
そうじゃないかもしれないとしたら…
あなたはどうする?」
そんなことを、問いかけてみてくださいね。
2015年5月の過去記事でしたん。