ほんとうに、世界は変わっていっている。
…と、そんなこと書くと、
えらい怪しいですが(笑
昔の常識が、どんどん通用しなくなっているのだなぁ、と思います。
でもあくまでも「私が見ている世界は」ですが、
今まであたり前とされてきたものが
全くあたり前ではなくなってしまう。
そして、
一部ではそこに「正解」や「正確性」がなく
不安を投影し、否定と批判をぶつけてしまうが…
一方ではその自由な状態に新しい可能性を見いだし、
自分なりの答えをだしていくことが出来る。
—
わたしのやり方も、あり方も、
どんどん変化し、流れて流れていっているのに、
どこかに固執すると、それが顕著に現実に現れる。
悪循環や停止感、
何かに息詰る感じがするときって、
逆にチャンスなのだ。
自分が流れていない。
自分が流していない。
自分が詰まっている。
そう捉えた時に、足をとめていたのが分かる。
別に自分を責めることもなく、
それさえもまずは受け入れたまま
「足を一歩動かす」ということが、大切なのです。
—
やけに抽象的に書きましたが、
結局のところ
・停滞感
・行き詰まり感
・悪循環
を感じる時、
総じて「うまくいっていない」
とわたしたちは判断してしまいます。
この「うまくいっていない感」というのは
わたしたちの理想と現実のギャップが大きければ大きいほど強まります。
この時、
理想(こうであるべき)
と
現実(こうである)
の方向性が真逆なことがあります。
つまり、両方向から引っ張りあっている感じ。
そうすると、進まないですよね。
右と左からひっぱられる状態だと、綱引きのように
停滞してしまうわけです。
—
大切なのは理想と現実のギャップをうめることよりも、
方向性を同じにすることかもしれません。
理想(こうであるべき)が捨てられないなら、
現実(こうである)を
ちょっと見方をかえて(こうであるべき)の理想に近づける。
こうであるべきな理想に、着実に近づいていっている、と
自分でその可能性を見つけようとする。
逆に、
現実(こうである)に
理想を寄り添わせるのであれば、
現実(こうであること)そのものが
理想(こうであるべき)なのだ、と見方を変える。
どっちがいいか、は人ぞれぞれの話。
わたしは、いつも後者かなぁ。
今、ここで起きていること、を大切にして来た。
でもそれは、
「今ここ」を脳内で判断したものではなく、
純粋な「今、ここ」で起きていること。
それを大切にしてきた。
そうすることで、
理想と現実のつなひき状態が変わっていく。
戦わなくても、良くなるのだ。
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ビジコア1期。もうすぐ関西がはじまります!
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関西の開催は、今回を最後としました。