物事がトントン、トントンと
弾むようにしてうまくいくこと。
何の障害もなく、
まるで自分が歩きたいように道が整備され、
邪魔なものもスルスルなくなり、
視界が開けていく感じ…。
この感じを、
人の「頭」は疑い深くさぐり、
そして出来るだけその状態に心を開くまい!と
頑になる習性があります。
「理性」の基本的な仕事は
「疑うこと」です。
何かに対して注意深く、
信用しきることがないように
制御する。
それが私たちの「理性」が成す技です。
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これが不必要かと言われれば、
真心と重なった理性はとても美しいものとなります。
いわゆる思いやりって、
理性がなければ出来ませんし、
自分のことを反省する理性も、
それがあってこその、成長や進化を生みます。
だから、理性を毛嫌いし、
それをなくして生きることは、できない。
でも、魂の宿っていない理性は
わたしたちのありとあらゆる可能性を奪っていきます。
そうなんです。
「管理」から、「監視」に変わってしまうのです。
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先日、このようなことがありました。
(とはいえ、先日どころか
結構いつもそうなんですが。)
物事が驚くくらいシンクロしていき、
一つ一つが狂いのない重なりで続いていくような…。
宇宙が応援してくれている、
と書けばそれは怪しく聞こえるのだろうけれど、
本当にそうとしか思えないようなことが続きました。
そういうのって、
主にスケジューリングに現れます。
そして、人とのご縁。
チャンスに恵まれ、自分の視界が広がっていくような、感じです。
何事も心配のいらない、
用意された安心安全な場で、
好きなように踊り、舞いなさい、とでも言われているような、
そんな、全世界からの祝福。
まるでそのような出来事が起こりました。
これはたった一度ではなく
何度も経験しているので毎回思うのですが、
このシンクロニシティの瞬間、
心の底からすべてに感謝したくてたまらなくなる気持ちになります。
ものすごく大きなものに支えられ、
ちいっぽけな自分のために
ステージが用意され、衣装が用意され、
「ありのままで、いきなさい」と
応援の言葉をもらうような。
そんな感じです。
「ちいっぽけな自分」ってところが、ミソですよ。
まるでね、
全世界、全宇宙から
「あなたが、ちいっぽけでいることが、だいじ。」
と、そんな風に言われているような気になるのです。
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ところがどっこい、
しばらくすると、「大きな自分」になろうといつも頑張る「頭」が出て来て、
その応援に反抗します。
「こんな風にうまくいくなんて、ダメだ」
「もう少し、あがいて、もがいて、苦しまなければいけない」
「用心深くなれ、世の中そんなに甘くないぞ」と。
「ちいっぽけな私のままで、何事も問題なく
ありとあらゆるものを受け取っていい」
と祝福された世界に対して、
「大きなわたしになるべくして、
もっと努力し、もっと同情され、
もっと苦労をしなければいけない」
というわたしが、警戒心を持ち出す。
自分の中の、サイレンが鳴り響き、
あのとき聞いた心地よい声は、どこかにかき消されてしまう・・・。
——-
わたしたちは、
「ちいっぽけなわたし」と
「大きくなりたい私」との共存で成り立っています。
どちらがいいとか、悪いとかではなく、
あくまでもバランスなんだよね。
でも、
人って、
本当にスルスル何事もなく
トントン拍子に夢が叶っていくことを嫌がる頭が
ついてんだな~って思って
ちょっと可笑しくなったものです。