ありのままで、ぶっとんで、
誰かに否定される生き方くらいが、ちょうどいい。
みんなに好かれることがないのは、
その人が輝いている証拠。
光を放つ人は同時に影を生み、
その影を見た人が自分自身への否定の変わりに、
光を否定する。
だから、
ありのままでいればいるほど、
嫌いになってくれる人も、いる。
—
ありのままで生きていると
色々な弊害がある。
それは、わたしたちのしかるべくして発揮した
すばらしき性質が持つ弊害。
その凸凹な自分の側面にフィットする人もいれば
しない人も、いる。
だから、どうあがいたって、
光れば光るほど、
影も濃くなっていく。
—
潜在意識というものはただのツールです。
わたしはこのツールを使って
ただ自分を表明しているだけなのです。
そのツールはわたしの道具ではあるけれど、
それは「私自身」ではない。
言葉も、
表現も、
写真も、
音楽も、
建物も、
仕事の成果も、
人からの評価も、
そして、
「自分の考え」も。
すべて「私自身」ではなく、
私の道具であり、
わたしとともに世界をつくる一つずつのツールでしかありません。
そこに、こだわるな、自分で、あれ。
ここ1年くらいはずっとそのように
言われ続けた期間だった気がします。
—
ありのままで、ぶっとんで、
誰かに否定される生き方くらいが、ちょうどいい。
みんなに好かれることがないのは、
その人が輝いている証拠。
光を放つ人は同時に影を生み、
その影を見た人が自分自身への否定の変わりに、
光を否定する。
だから、
とりつくろって大切なものとの距離が離れるくらいなら、
ありのままでぶっとばして、
嫌われたほうが、マシ。
「ありのままの一番の弊害」は、
感謝なのだと思う。
感謝することは時に厳しく、
時に、がまんしていた全ての感情を解放してくれるから。
いたたまれなくて、
出来れば誰にも助けを求めず、
支えられず、
応援されることもなく、
「ただひとりで、がまんしていたい」と願うこともある。
でも、
ありのままになったとき、
全部が協力してくれて、そして
「わたしはただ、在る」だけという状況が
最もニュートラルなギフトだと気付く。
この世界は、やはりすばらしいな、と
つくづく思うのです。