「はたゆか」という帰れる場所があるといいな、
って思ってます。
そんな、ずーっといる場所ではなく。
むしろ、
たまに帰ってくるくらいで、いい(笑)
わたしの発信するもの、
ブログ、メルマガ、講座、本、
すべてに「おかえりの要素」を含めたい。
そして、帰る場所は「いってらっしゃい」の場所。
人々が飛び立つ場所でもあると。
願捨離の結果が、ソコでした。
今でも迷うことはたくさんあります。
平気な顔して悩んでます。
自分のこと、しゃらくせぇ、と思うこと多々有りです。
でも、いいなぁ、わたしの命、って思える瞬間、
そのために皆が生きているのではないでしょうか。
どんなにいつも笑顔で楽しそうで
好きなことをやっているような人でも
ふと我に返った時に
「いのち」の曖昧さに怖じ気づく。
だから言葉を放ち、人と繋がるために仕事をし、
Facebookに近況報告をしたり、
こうしてブログやメルマガを書いたり。
その度に「自分の存在」を感じることが出来て、
少しでも誰かに褒められたり、いいね!がもらえると、
「いのち」が少しずつ伝達されていくような気がして。
昔、コラム集にこんなことを書きました。
『わたしたちは、皆が誰かの中に、残りたい。』と。
少なくとも私はそうなんです。
誰かの中に、残りたい。
そうすれば私の肉体が滅びたとしても、
「はたゆか」は生き続ける。
「はたゆか」という人間が放った振動は
誰かの心に届いてその人の中と振動で触れ合う。
そうすると、私は残る。
振動として、残るんです。
難しい話ではありません。
私たちは誰もがそうやって
「死」に対する恐怖に突き動かされています。
そして、そのようにして「生」のパワーを振動させようとする。
それが止まったら、本当に死んでしまうから。
だから人は、恋をし、
仕事をし、
考え事をし、
感情を味わい、
何かがなくなっていくのを感じないように、
ヒマを作らずとにかく動き続けようとする。
ハートをふるわせ続けたいのです。
それこそが「いのち」を感じる瞬間だから。
そのために「願望」があるだけ。
ただそれだけのこと、表面上はなんでもいいのです。
ウエイトレスになろうが、
オーナーになろうが、
コックになろうが、
歌手になろうが、
大富豪になろうが、
専業主婦になろうが、
独立しようが、雇われようが。
すべて、その先にあるのは「自分のいのちを振動させること」
だったりするし、
それが止まってしまっていること、
つまり、ハートが震えないことをずっとやっていると
「このままでいいのだろうか」と人は悩むし。
ですから、
自分の心や身体が硬直したり、固まって動けなくなったり、
ハートが振動しないような願いというのは
本当に、捨てて捨てて捨てて捨てて捨てまくってください。
心を発見するのは、その後です。
「あぁ、わたし、これに心、動くのか」
という感動は、何を得ても感じられません。
失うことによってのみ、得られるハートの動きだと思うのです。
震えることを恐れずに、泣き出しそうなくらいの世界に
出会うことを、心から許して両手を広げること。
勇気がいることですよね、それって。
本当にエネルギーがいるのです、自分を解放することは。
それでも諦めないのは
そこに「いのち」があるから。待っているから。
だから、わたしたちは今日も
必要とされているかどうか気になって
自分の存在を誰かやどこかに落としていきたくって
そんな風にもがきながらも生きている、
とてつもなく弱くて面白い生き物だと、
わたしは思っています。
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そんなわけで、Facebookにも載せましたが、
6月25日のメルマガ抜粋でした。
世界、らぶ。