周りの人が自分をどう思って気になって
それが悩みになることもあれば、
逆に、
自分は誰にも相手にされていないんじゃないかと思って
それが孤独や悲しみになることも、ある。
多くの人に認められたいと思いつつ、
たくさんの人に反応すると疲れたり、
人の目や評価が気になって、隠れたくなる。
わたしたちは、とても矛盾した、生き物です。
孤独でいたくないからといって
許容できない愛の大きさも、受け取れない。
周りに評価されたいからといって
否定や批判(これも一種の評価)は、されたくない。
わたしたちは、とっても都合のよい生き物です。
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偉そうに語っていますが、
私の中にもたくさんの矛盾があり、
右に左に、
上に下に、
揺れ動きながら生活しています。
ですが、
動かなければ中心は見つからない。
自分に揺れ動くことを許し、
その合間、合間に、
自分の真ん中を、見つけていく。
どちらかに偏っていよう、と思うと、
心の降り幅がとても狭く、
誰かや何か、自分のどこかを否定しないと
偏っていられません。
だからわたしは、
自分の矛盾をなくそうとしたり、
やめようとしたり、
偏ろうとしたり、
そして、固定されようとしたり、したくないなぁ、と思っているのです。
そうなってしまえば、
中心がそもそも分からなくなる。
どこが真ん中で、
どこが一番自分らしいか。
矛盾の中でしか、見えてこないものがある。
孤独を感じるのは、いいことなのです。
そこには誰かとの優しい思い出がつまっているから。
人の愛に触れたことがない人は
愛されたいと思うことはありません。
人を愛したことがない人は
人を愛することを恐れることも、ないのです。
わたしたちは、矛盾の中で
自分オリジナルのカタチを知り。
中心を知り、
そして、揺れ幅の柔軟さと比例して、
受け入れられる現実も柔軟になっていく。
矛盾を歓迎したとき、
自分の別ゲートが開く感じがします。
私の中でいつもそれは
AとBという両極端で選択を迫られている時に
初めて見つけるCという新しい扉のようなもの。
明日も、はりきって、
矛盾GOGO!
でいきまっしょ。