こうなったら幸せに違いない。
こうなったら楽に違いない。
こうなったら安心するに違いない。
こうなったら楽しいに違いない。
…この「たぶん」と、
今のあるがままの自分と、どちらが大切ですか?
私は言われなくとも、
今のあるがままの自分の方が、
「こうなったら、こうに違いない」より大切です。
—
わたしは最近、
『自分を何一つ変えずに、
いいところも悪いところも、
いい思い込みも、悪い思い込みも、
ぜんぶ、ぜんぶ、そのままでいて
幸せであるストーリーを作りましょう』
と言っています。
それは「こうなったら、こうであるはず」
を取っ払って、
今、ここにあるすべてを駆使し、総動員し、
そして、自分のすべての感情を
そのまま、このままで『生かせる方法』を考えるのと同じこと。
理想と現実、どっちをたいせつにする?ってことですね。
—
願いを叶えるかみさまと仲良くなる方法(大和出版)
で書いたことでもありますが、
とにかくわたしたちを苦しめたり、
「今が悲惨」「今が不幸」「今が悲しい」
と思わせられるような願いや希望や理想は捨ててしまいましょう、
って伝えています。
それはなぜか、と言えばその願いそのものが
私たちの今を否定するからです。
でも、未来も過去も、
今の自分の状態、心境、環境、が決めていく。
だとしたら、今の自分を否定するような願いを持ち続けても
未来にも意味はないし、
過去の自分にとっても喜ばしいことではありませんよね。
『こうなったら、こうに違いない。
それなのに、わたしは、どうして今、こうなの…!?』
ではなくって。
『今のわたしは、こうでこうで、こうである。
でも、すべてを生かし、駆使した何かがあるはず!』
と想像してみるんです。
どういう風にしようかな?って。
—
このELMプログラムでは、
あるワークをやってもらって、その感覚を体験してもらいました。
ちょっと慣れるには時間がかかりますが、
あるがままの自分で
超幸せで居続けることを諦めない。
そのためのコツ、というのが
『すべてを駆使する』という感覚なのです。
普通に言葉にしても理解はできたって
感覚的にはわからない。そしてすぐ忘れちゃう。
だからこそ、ワークを通して
その感覚へと誘導していきます。
—
こうなったら幸せに違いない。
こうなったら楽に違いない。
こうなったら安心するに違いない。
こうなったら楽しいに違いない。
…この「たぶん」と、
今のあるがままの自分と、どちらが大切ですか?
どんなにデブでも
どんなにブスでも
どんなに貧乏でも
どんなに性格が悪くても
それをイコール悪、としているのは自分です。
どんなに思い込みを持っていても
どんなにメンドクサイ自分でも
どんなに嫌な感情があったとしても
それをイコール問題、とするのは簡単だし
超楽です。
最も大切なのは、
自分の中にあるすべて(つまり、基本的に色々な側面があり、
矛盾した想いがあり、相反する性質がある)
という事実を、
曲げない、変えない、そのまま、このままで、
何が出来るか?なんです。
わたしは頭がかたくて
凝り性で
批判的で
孤立がすきで
協調性なくて
不器用であまのじゃくで
知的で
探究心旺盛で
物事を深く追求するのが得意で
考えることもすきで
基本的にゆらゆらしてて
かなりズボラなところもあって
料理がすきで
洗濯物がきらいで
不幸な恋愛をしたことがあって
幸せな恋愛をしたことがあって
嫌いな人がいて
好きな人がいて
お金があって
でも有り余るほどのお金はなくて
自信があって
でもプライドが邪魔なときがあって…
すんません、ハタユカ解析ですが(笑)
そんな感じの、
溢れるほどのたくさんの自分の一側面は、
実に色とりどり。
わたしは細かいところは細かく、
とっても生真面目でストイックなのに、
別のところでは超適当で抜けててかなりどうでもいい、
みたいに。
実に矛盾した素質を兼ね備えているのです。
それは私を含め、すべての人間が。
だからね!!!!!
大切なのは
『何も変えないで、この私で幸せでいる』ことだし、
『何も変えないで、この私が出来る仕事』をすることだし、
『何も変えないで、この私が幸せな恋愛を想像する』ことだと、
思うのです。
あなたがどんなにデブでブスで
性格悪くて、メンドクサイ奴だったとしても、
はっきりいって
そんなん
『幸福』には、
なんの関係もありません。
こうなったら幸せに違いない。
こうなったら楽に違いない。
こうなったら安心するに違いない。
こうなったら楽しいに違いない。
…この「たぶん」と、
今のあるがままの自分と、どちらが大切ですか?
はい、三回も書きましたね、しつこいですね。
ハタユカ解析に「しつこい」を加えることに、
いたしましょう。
(^^)