自分が本当に伝えたいことって、
誰かに対する要求にはなりません。
また、自分が本当に言いたいことって
それもまた誰かに対する要求にはなりません。
わたしたちは、なかなか
「想い」を「想いのまま」に表現することができず、
本当に伝えたいことを言葉にしてしまうと、
どうしても本質からずれてしまって
一番大切な心を込められずに、
結局伝わらない・・・と嘆いてしまいます。
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ただ、
自分が「表面的に思うこと」をヒントにして
自分が「本当に抱いている想い」を見つけることができます。
だいたい人間が一言目に言う言葉って
本音から一番遠い場所にある言葉で、
そこからスタートして少しずつ本音に行き着いていくのですが、
一番遠いところにある言葉だけを聞いて
それが全てだと思ってしまえばコミュニケーションはそこで終わり。
自分の心と遠い場所にある言葉だけが残って
それを言い続け、苦しみを感じ続け、
どうして届かない?
どうしてわかってくれない?
ばかり、経験してしまうことになります。
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例えば先日、
我が家でこんなことがありました。
小さなことで喧嘩?
(というかわたしが一方的に拗ねていた)
みたいなことになったのですが、
その時わたしの頭の中ではずっとこんな言葉が鳴り響いていました。
・ちゃんと連絡してほしい!
・ちゃんと帰ってきてほしい!
・わたしを忘れないでほしい!
・・・うーん。
言いながらも自分でどこか腑に落ちません。
確かに心のどこかでは
その気持ちはあります。
でも、ちょっと違うのです。
ちょっと、ズレている。
その気持ちに、心がこもっていない気がする。
・ちゃんと連絡してほしい!
・ちゃんと帰ってきてほしい!
・わたしを忘れないでほしい!
この言葉たちは「ヒント」でしかなく、
わたしの本音とは程遠いところに、あるんです。
『うーん、かといって別に連絡がほしいわけでもないんだよなぁ・・・』
『でも、必ず帰ってきてほしいというわけでもなかったり・・・』
『忘れないでいてほしい!って、それは逆にちょっと・・・(たまに自分だって忘れていたいし)』
という感じで、
どれもしっくりこず。
そうであるような、
そうでないような、
ここで諦めてしまったらこれが本音になるけれど、
大切な人だからこそ、ここではストップしたくない。
だから少しずつ近づいていきました。
わたしは結局、何が言いたかったのだろう?
何を一番伝えたい?
どんなことを一番伝えたい?
最初の方は
「相手に要求する声」しか聞こえません。
そういうものだからです。笑
そこで、少しずつ心に言葉が近づいていくと、
だんだん他の声が聞こえてきました。
・さみしかったよ
・会いたかったよ
・そばにいて欲しかったよ
そんな気持ちが聞こえてきました。
でもまだどこか、しっくりこない。
まだちょっとだけ、ずれています。
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多くの人はここで諦めてしまいます。
心のどこかで「ちょっと違う」と思いながら、
聞こえてくる声に負けてしまい、
「これがわたしの言いたいことなのよ!」と
そこから断じて動きません。
そして、相手に求めます。
相手にぶつけます。
そうでもしないと気が済まなくなります。
・・・もちろん、その気持ちはわかります(笑)
でもね。
それって、コミュニケーションのようで、
心のコミュニケーションにならない、んだよね。
自分自身とつながっていない状態で
他社とは繋がれない。
だからこそ、まずは自分自身の本音とつながることがとても大切なんです。
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最終的にどうなったか。
わたしは言いたいことを言いつくして
(自分の中でも、相手に対しても)
たくさんの表現をしてみて
いろいろな言葉を出してみて
探して探して探してみて、
はっとわかった瞬間がありました。
わたしは
・ちゃんと連絡してほしい!
・ちゃんと帰ってきてほしい!
・わたしを忘れないでほしい!
と言いながら、
心の奥でずっと
『わたしはあなたを信じているよ!』
と言い続けていたのです。
わたしはあなたを信じている。
これが純粋な気持ち。
でも、この気持ちを
・伝えられない
・わかってもらえない
・意味がない
・むなしい
と思ってしまうと、ひねくれてしまって
・ちゃんと連絡してほしい!
・ちゃんと帰ってきてほしい!
・わたしを忘れないでほしい!
となって相手に要求してしまいます。
ほんと、人間ってかわいくない仕組みを持っていますよね(笑
とほほです。
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でもね。
この「わたしはあなたを信じてる!」
に気付いた時。
心が晴れました。
何も相手に言われていないし、
何もされていないし、
要求したかったことをしてもらったわけでもないのに
ものすごく満たされました。
ものすごく嬉しくなって、
ものすごく、伝えたくなりました。
(結局、口では言えていないですが。笑)
そんなことがあった
スーパームーンの前日だったのです。
?
本音、ってすんごく難しいです。
本音を表現することなんて
人は練習でもしない限りボキャブラリーが追いつきませんので、
自然に聞こえてくる範囲でしか
自分の気持ちを捉えられません。
しかし、
誰かに要求している時のわたしたちを
思い出してみてください。
冷えているでしょ?
芯からポカポカしていないでしょ?
苦しくてぎゅっとするでしょ?
悲しくなったり怒りが湧いたり、
分裂しているでしょ?
それって、本音じゃないってことなんです。
でも、それ以外声が聞こえないし、
わからないし、そこからどうしたらいいか分からないし、
だから、
とりあえず浮かぶ言葉を言っちゃう。
それを本音だと言っちゃう。
苦しいのに言い続けちゃう。
まるで、おなかいっぱいなのに
食べていないと不安、みたく
・愛してほしい!
・助けてほしい!
・認めてほしい
・こうしてほしい!
・あぁしてほしい!
と言い続ける。
ちょっと言葉はきついですが、
その言葉たちは、自分の思っていることだ!と言って
選択し続けることで
結果的に自分を苦しめている
呪文のようなものになっているのです。
一種の自虐行為、ですよね。
・お金がほしい
・仕事をやめたい
・恋人がほしい
・愛されたい
・認められたい
・痩せたい
・かっこよくなりたい
・モテたい
・成功したい
・変わりたい
などなど、よく言われます。
でも、言っていて
心も身体もホッとしますか?
ポカポカしてきますか?
ゆるんできますか?
優しい気持ちになりますか?
あなたは愛を感じますか?
大切な人を大切にする自分でいられますか?
そうならないのであれば、
それ
「ただの自虐行為」になってしまっていますよ?
まずは、その言葉から手放してみる。
「そうやって聞こえてるけれど、
本音じゃない」と観察してみる。
その声たちがダメなのではなく、
それをヒントにできるかどうか、です。
心がぎゅっとなって苦しくって
身体が冷えて詰まっているような感じになって
筋肉が凝縮して硬くなって
それでもあなたは、その声を選択する?
それでもあなたは、それが自分の本音だと言い続ける?
それでもあなたは・・・
どうしますか?
ここからが、分かれ道、ということになります。
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ちなみにわたしはこういう時、
まず相手に一言断ってから、思っていることを全て吐き出します。
「わたしが今から言うことは
感じていることなのだけど、本音ではないのね。
でも、いい出したいから聞いていてほしい。
ただ、それはあなたに対する要求ではないから
とにかく聞いていてほしい」
とちゃんと伝えます。
「あなたに対する要求じゃなくて、
拗ねているわたしが思っている、ゆがんだ声なのかもしれない。
でも、それを否定したくないから
とりあえず言うね」と。
我慢も、否定も、しません。
出して出して出しきって、
相手に受け止めてもらうことなく、ただ出し切って。
そこからまた別の光が見え出します。
本当のコミュニケーションはそこから生まれる。
自分の中にあるものを
否定もせず、かといって我慢もせず。
でも、
ピュアな部分に触れるまで
心を諦めない。
自分とのコミュニケーションでもあります。
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最初から誰ともこのようなコミュニケーションが取れるわけではありませんが、
ぜひ、大切な人との間では意識してみてください。
自分の心をアクセスするまで、
自虐的な言葉でストップしてしまわないこと。
そうすることで、
どんな要求も命令のような言葉も否定の言葉も、
愛を持っている、ということが実感できるはずです。