なんのために頑張るのか
なんのために自分を変えるのか
それは、
「自分のため」なのか
「自分の後悔のため」なのか
それとも
「笑顔にできなかったあの人」のため?
「喜んでくれなかったあの人」のため?
なんのために
わたしたちは、がんばり
なんのために
わたしたちは、自分を成長させようとするのでしょうか。
???
久しぶりのブログ更新。
このところはずっと慌ただしくも、
愛おしい人たちに囲まれた充実の日々を過ごしておりました。
こんな感じのことをしていたんです~!!!
(開催レポ)
ふと、みんなと一緒にいて
みんなと一緒に笑い合って、
ふと、
「わたしたちは、なんのためにがんばるのだろう」と思いました。
そして
「どうしてわたしたちは、自分を変えようとしてしまうのだろう」と。
それは、この集まりそのものが
「あるがままでいて、全然大丈夫」という
大前提のもとで成り立っているからこそ、
ふと疑問にも思うのです。
なんのために頑張るのか
なんのために自分を変えるのか
それは、
「自分のため」なのか
「自分の後悔のため」なのか
それとも
「笑顔にできなかったあの人」のため?
「喜んでくれなかったあの人」のため?
時に立ち止まり、こう問いかけることはとても大切。
あの時に果たせなかったことを、
10年も20年も30年も引きずってしまう人がいるけれど。
昔のことは昔のこと。
今、それを取り戻そうとがんばる必要はないのです。
それはもしかしたら
両親かもしれない。
小学校の先生かもしれない。
兄妹かもしれない。
おじいちゃん、おばあちゃんかもしれない。
でも、
自分の後悔のためにがんばるのではなく、
自分の幸せのためにがんばるのであって、
後悔を果たしたところで
幸せであるわけでもないのです。
?
ブログでも何度か書いていますが、
わたしのかつての「がんばるすべての意味」は
祖父にありました。
彼が褒めてくれたから
彼が期待してくれたから
彼が喜んでくれるだろうから
でも、
彼に認められなかったから
彼に笑ってもらえなかったから
彼に満足してもらえなかったから
「だから」
わたしはがんばるし
わたしはいいことをするし
わたしは仕事もして成功するし
わたしは幸せになる、と。
すべての基準が自分ではなく
他の誰かにあったのです。
でも、とあるときに
「あー、それまじで
もったいないわ」と思ったことがあります。
祖父の死がきっかけでしたね。
なんせ、
「後悔」や「罪悪感」を抱えていることで
がんばることができていたものの、
その対象者がいなくなったから
むなしくなってしまった。
その時に思いました。
「わたしは自分の人生を取り戻すために、
自分中心の生き方をしよう」と。
?
一生を、
「後悔」や「罪悪感」を挽回するための時間にするのは
あまりにももったいないとおもいませんか。
「自分」ではない誰かのために幸せになろうとしたり
がんばろうとしたり、何かを達成しようとしたり、
としていることに気付けない場合がほとんどです。
気付かぬまま、
後悔や罪悪感と同調してしまっている。
そこから脱出するためには、
苦しみの中からでしか見つけられない
「もういいんだよ」を発見していくしかないのではないか、と思っています。
そう、
「もう、いいんだ」を。
今、こちらの講座の受付が始まっていますが、
結局この
「もう、いいんだよ」が腑に落ちるための
ある種の「降参」をするためのひとつのツールとして
わたしは潜在数秘術を活用してきたように思います。
なんのために頑張るのか
なんのために自分を変えるのか
それは、
「自分のため」なのか
「自分の後悔のため」なのか
それとも
「笑顔にできなかったあの人」のため?
「喜んでくれなかったあの人」のため?
そのしっくりくるそれぞれの答えが
「あ、もういいんだ」という感覚とともに
やってきますように。
あなたは、どうですか?
わたしは、
「もうそこは追わなくていいんだ」と
また改めて思った数日間でした。
誰かの肩の荷をおろしてあげる、
「あなたは、あなたのままでいい」を伝えるプロになる。
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