なりたい自分になろう!としていた時期が長くありました。
今は、なりたい自分になろうとするより、
なりたい自分であろうとするほうが、心地よいかもしれません。
もっといえば、
今すぐなりたい自分で「在る」ことができないなら、
それは本当になりたい自分ではないし、
今もつすべての条件でなりたい自分になれないというならば、
それは少し、立ち止まることができるチャンスだ。
条件獲得のゲームにハマるのは簡単だけど、
今もつすべての条件で
なりたい自分であろうとすることは、できる。
歩き方、喋り方、朝起きる時間、夜寝る時間
仕事のペース、付き合う人との会話。
今すぐなりたい自分であるための要素は揃っているはずです。
条件クリアのゲームも面白いけれど、
なりたくない人になろうとしていたことにふと気付いた時の
無力感ったら、無価値感ったら。
今すぐなりたい者であれ、と。
昔の自分にゆうてあげたい。
——-
例えば、
「お金持ちになりたい」と思っていたとしましょう。
その時、
お金持ちには「おかね」が必要だと思ってしまえば、
なりたい自分と、今の自分との間に溝ができます。
しかし、
お金がなくても、お金持ちであることはできます。
今すぐ、お金持ちであることはできます。
お金をもっていても、お金をもっていなくても
実は何も代わりはありません。
お金持ちだっていらないものは買わないし、
(本当に豊かなお金持ちは)
お金持ちだって必要なものを吟味して買う。
それならば、
「お金があるかないか」は関係なく
今すぐ誰でも「お金もちである」ことはできるのです。
—
じゃあ、幸せな結婚は?
相手がいなければできないじゃない?と
思うかもしれません。
「相手」というのは
幸せな結婚において必要な条件のひとつです。
しかしながら、
頭は「?」と思うかもしれませんが
こう捉えてみてほしいのです。
「相手がいなくても幸せな結婚をしている人である」ことはできる。
そこではじめて考えるわけです。
・幸せな結婚とは?
・それをしている自分はどんな自分?
・幸せな結婚をしたときのわたしはどんな生活をして、
何をみて、何を感じて、何に触れて、何をしている?
つまり、
突き詰めれば「幸せな結婚が運んでくれる自分になりたい」わけであって、
相手がいようといまいと、結婚しようとしまいと、
それはただの条件である、ってことなんです。
—–
なりたい自分になろうとするためのゲームに参戦し、
ことごとく本当は何が欲しかったのか、
何になりたかったのか、見失う人をたくさんみてきました。
もちろん、わたしもそのうちの一人です。
でも、今はなりたい自分というのはありません。
「こうでありたいな」と思う自分はいます。
そして、
願望がないわけでも、
野心がないわけでもありませんが、
ただただ、
条件をクリアすることに翻弄され、
そこに妄信的になって大切なものを見失わないよう、
そうしているだけなのです。