今日、わたしはモヤモヤしていた。(11月28日のこと)
書けなくてモヤモヤ。
自分の中の衝動がことばにならなくて、モヤモヤ。
書く、ということがわたしにとって欠かせないものなのに
どうしてもそれが億劫になる、という状況にまたモヤモヤ。
そういうときは、いつも潜在意識に聞いて
すべてお任せする。
・どうしたらいいか、衝動で教えて
・わかりやすく、わたしに教えて
とだけ伝え、
鍼灸を受けたあとの気だるさと眠さにゆだねつつ
「そのとき」を待っていた。
?
夕方ころになって、
「そのとき」はやってきた。
急に脳内が
「パスタ」一色になったのだ!!!
え?パスタ?
夜は炭水化物を制限していて、
できるだけ食べないようにしているし、
ましてやパスタなんて普通のわたしにとって
あまり脳内に浮かばない料理だった。
でも
「そのとき」は違った。
とにかくパスタ。
太めの麺。
プニプニの食感。
パスタが食べたい!
パスタが食べたい!!!!
ぱすたぁーーーーー!!!
と、パスタシンドロームが自分の中で鳴り響き、
頭は必死に抵抗するも、
その日一番のすばやさと率先力を見せて
わたしはできる限りの簡単な格好で
パスタの衝動を抑えるための旅に出た。
?
我が家の付近は、
簡単なイタリアンレストランが、ない。
基本的に、ちゃんとしたレストランしかなく、
でもわたしはわたしで
ちゃんと化粧して
ちゃんとした格好で出かけたいわけでもなく。
ただ、脳内はパスタ一色。
パスタ、パスタ、手打ちのパスタ・・・とだけつぶやいて家を出た。
そのときに、行ったことはないけれど、
気になっていたお店にふと惹かれた。
足はそこに向かい、
お店の門をくぐる。
『しまった』
と思ったのは、
そこはカップルとか
休日に外食を楽しむ家族とか
そういう人たちばかりで集う
コース料理のあるイタリアンレストランだった。
『しまった』
と思ったのにはいろいろ理由があるけれど、
こんな場所に
こんな格好で
しかも一人で!とか
どんだけやねん
とツッコミつつ、
そういうのには、精神が慣れていたため
とにかく知らんぷりしてお店に入る。
土曜日だから、というのもあって
やや混みの店内。
お店の中にいる店員さんも忙しそう。
わたしはとにかく、
なぜ「そのとき」が来たのにもかかわらず
パスタなのかわからずに
メニューに目を向ける。
あ、あった。
パスタ!
手打ちってかいてある!
キター!!!!
?
「なんだこの一人客は?」
だなんて一言も言われていないのに
店員さんの微笑みの奥にそんなセリフを感じるわたし。
まぁまぁまぁ・・・と思ってワインをたしなみつつ、
注文に来てもらうのを待っていた。
そこにやってきた
THE うじうじ女性定員!!
お店の雰囲気に合わせておしとやかなのか
性格なのか、
それともこのあやしい一人客
(すっぴんめがね、やや家着のような格好で
無難にブーツだけちゃんとキメてるような人間)
に違和感を感じているのか、
とにかく、
声がちいさい。
うじうじしている。
『太めのパスタが食べたいのです』
という渾身の素直さに動揺してなのか
とにかく
声がちいさい
聞こえない
パスタの説明が聞こえない
横でしゃべっている三人組の男の人の声が
やたら脳内に響くほど、
彼女の声はわたしに届かなかった。
?
びっくりするくらい声が小さく聞こえる彼女と
冷静に食べたいパスタの種類を伝えるわたしの間で、
誰かがひたすらにしゃべっていた。
もはや、しゃべる、ではなく
それは暴言だった。
「ちょ、なめてんのかこら」
(いや、絶対になめていない)
「こんな格好で一人できちゃいけないっていうのかこら」
(ぜんぜん、何も言われていない)
「混乱してるんじゃないぞ、これでもお腹がすいているんだ」
(混乱と腹の減りは何も関係がない)
「貧乏くさく見えるかもしれないけれど、
ちゃんと働いているし、ここの近く(割と高級住宅街)
に住んでいるし、あなた、わたしを何者だと思っているの!?」
(どうしたらそこに話が展開するのか、わからない)
とか、えらい聞こえてくる
自意識過剰な無謀の声が聞こえる。
まったくもって、
意味がわからない。
面白いなーと思いつつも
イライラしている自分に気づく。
しばし、「またくるそのとき」を待たれよ、
とふと思って
彼女がメニューを下げるのを見ていた。
?
ひとりで座っていると、
だんだんそわそわしてきて
・わたしはひとりで来ているけれど、いつもはひとりじゃないもんね
・こんな格好できているけれど、きょうは体調が悪いんだもんね
・ちゃんと常識あるもんね
などという
どこの誰に向けた主張なのかもわからないことを
無意識に全身で演じようとする。
まったく馬鹿げた話である。笑
でも、そのときの衝動はおもしろく、
わたしはとにかくそのレンストランでひとり、
「誰に何を言われたでもない」のに
「こう言われた、ああ言われた」という前提にのっかって、
「わたしはこういう人間です」を披露しようとしていた。
こんなの、ひとり劇場じゃないか、
しかも観客なし!!!
(おえっ)
そんな中、やはりうじうじした彼女が気になる。
イライラするのだけど、気になる。
ふと、そんなとき、声が聞こえた。
??
イライラする人の奥には神がいる。
そのイライラする相手は自分がなかったことにしてしまい込んだ、自分の一部なのだ。
そして私たちは、イライラするという矛盾した反応によって再び出会おうとする。
しかし、出会ってはいけないと反発する習慣に引き裂かれそうになる。
その衝動が、暴言だ。
でも、イライラする相手の奥にはいつも神様がいる。微笑んでいるのだ、こっちを見て。
なんや、おまえ、
じぶんはこういう人間なんやとかゆーて勝手に決めつけんなよ?
もっと泣いたり笑ったり怒ったり喜んだり出来るように作ったんやから、
たった一つの人格なんていらんのや。
ほれ、こいつを見せてあげるわ。
とか、言ってるの。
(わたしの中で神様の声はいつも関西弁)
今日、わたしはウジウジしてる人にイライラした。
でも彼女が何度も目に入る。
わたしは彼女がわたしの仕舞い込んだ自分だと思った。
だから、彼女と同じようにウジウジしてみた。
彼女が、笑った。
わたしも、笑った。
いい出会いだ。
????
これは、二度目の「そのとき」が来たときに
Facebookに投稿した内容。
つまり、そういうことだった。
約5分の間にこの流れがあったのは、
おそらく長年潜在意識と関わってきたからだろうけれど、
とにかくすばやく、そのうじうじした彼女は
わたしの中にはいってきた。
快く歓迎はできない。
でも、それでも両腕をただ広げるだけの感じで
そこにわたしは、いようと思った。
そして、
THE パスタ!!
が運ばれてきたとき、
わたしはうじうじしてみた。
全身からうじうじしてみた。
え?このお客さん、どうしていきなりうじうじしたの?
って思うくらい、うじうじしてみたのだ。
そうしたら、うじうじしていた彼女の声がおおきくなった。
笑った。
なぜか、とても笑顔で笑っている。
戦闘モードで突入してきたお客が
急に入れ替わったかのようにうじうじしたからなのか、
それとも何がおもしろかったからなのかわからないけれど、
彼女の笑顔はわたしにとびこんできた。
わたしも笑った。
そこでエネルギーの戦いは、終了した。
??
イライラする人って
ほんとうにいやだよね。
なぜなら、その人たちが目の前にいると、
自分の中の暴言を聞くからなんだよね。
・うざいよ
・消えろよ
・意味わかんない
・バカじゃないの?
これらの言葉は、
非常に的をえているように思わせてくるため、
イライラする目の前の人が
ほんとうにバカな人なんじゃないか、と思えてくる。
でも、
イライラする人の後ろには
必ずといっていいほど、
「神」がいるのだ。
そして神様はいつもこう言っている。
なんや、おまえ、じぶんはこういう人間なんやとかゆーて勝手に決めつけんなよ?
もっと泣いたり笑ったり怒ったり喜んだり出来るように作ったんやから、
たった一つの人格なんていらんのや。
ほれ、こいつを見せてあげるわ。
?
わたしたちはいつも
「自分とはこういう人間だ」
という狭い人格の枠の中にいて、
その中にいれば安全だと思っているから
どうしたってその外にはでたがらない。
だから、必死にその枠の外にいる人を否定したり、
批判したり、罵倒したりすることによって
自分の陣地を守ろうとしている。
枠を広げるためには、
許す、という方法が必要になる。
別の表現で言えば
「わたしはこういう人間だ」
というのを捨てる勇気と覚悟だ。
枠に収まっていれば
不便はないし、傷つけられることもないし、
そこに入ってこられることもない。
いわば、
「国」みたいなもので、その枠を超えるときは
必ず何かしらの冒険が伴う。
イライラする人は枠の外の敵であり、
自分の置いてきた「わたしの一部」である。
しかし、部外者が枠の中にいると
「国」が収まらない。
つまり、
自分が決めた「ルール」をやぶる人がいると
国は安定しないから、だから排除しようとする。
—-
でも、走り回るためには広い領土のほうがいいし、
すがすがしいこころには、伸縮性のあるハートのほうがよい。
それをどこかで知っているからこそ、
わたしたちはときにドSな神様によって導かれ、
国領の拡大をよぎなくされる。
まったく、個人的には迷惑だけど、
広くなった世界を見ていいなぁと思うのもまた自分であって。
勇気と覚悟のほんとうのよさは、
体感した後にしかわからないな、ということを
再認識させられるのであった。
??
パスタ一皿をめぐって、
いろんなわたしが顔を出した。
要求されてもいないのに、
「わたしってこうよ!」と証明したくなるわたし。
行動の細部に、そのいやらしさがまとわりつく。
っていうか
はじめてあったひとに、
誰とか関係なくただパスタを食べに来たお客なのに
どこで何をしていて
どれだけのことをしていて
どれだけ稼いでいて
どれだけ本を書いているとか
しっかりしているとか
ちゃんとしているとか
そんなん
おいしくパスタを食べることには
何の関係もねー!!!!!
と途中で笑えてきたのも事実。
わたしもまだまだだなぁ、と
自分の中の自己顕示欲も、ひさびさに再認識した。
??
とまぁ、そんなことがありまして、
今は帰宅後この冷めやらぬ感覚をできるだけリアルに残しておこうと思い
キーボードを叩きつぶしているのだけど、
ふと思い出した。
「ちかくに、もっと手頃なパスタのお店、あったやん!!!!!!!」
と。
このことに気づかせるために、
うん千円も使わせやがって神様このやろー!!!!!!!!!
金返せー!(え)
と、そんな
悔しみまじりのオチとしようかね。
おつきあいありがとうでした。