私たちは皆、日々の出来事を通して
「そうそう、そういう感じでいいんだよ」のカケラを受け取っています。
それはごく小さいカケラで、
ちょっと意識をしないとすぐに風に吹き飛ばされてしまって
何も掴めなくなります。
そういうとき
・なんのためにこんなこと、経験しているのだろう
と自暴自棄になったり
・どうしてこんな目にあうのだろう
と躍起になったり、
・なんでわたしだけ
と自分を恨みそうになっては、それではいたたまれないので
・なんであの人だけ
と人を僻むことで自分を慰めようとする。
—
「そうそう、そんな感じ~」というカケラはいつも散らばっていて、
それは一塊としてやってこないから「答え」のようには見えない。
ひとつひとつかき集めて形になった時に、
それは自分にとっての「答え」のようなものになる。
でもいつだって答えは
「あぁ、こんな感じでよかったんか」
くらいあっけないものだったりするし、
「結局わかっていたけれど、こうだったのね」
とぐるっと一周して同じ答えに戻ってきたり、と。
別に大したことでもなんでもないことが、
実は大した答えになったりも、するのです。
—
「そういう感じでいいんだよ」が受け取れない時って
何か過去に見つけた
「これ」と思う目標や理想を捨てられない時だったりするし、
自分のプライドが邪魔をして、
「そんなわけない!」と背伸びをしたくなったりする時で。
だけど、背伸びしている時って
地に足がつかないので、ちょっと立っているのしんどいですよね。
一瞬、世界が広く見え、
一瞬、誰かよりも自分が高い位置にいるような気がして
ちょっと、うれしかったり、鼻高い気持ちになったりするのですが、
それもつかの間。
今度は、つまさき立ちして背伸び「し続ける」ことに
耐えられなくなっていきます。
その時に、
すっと力をぬいて、
元の位置にもどって
地に足がつき、
身体をもって生まれてきていることを実感する。
もともとそうだったけれど、
それを忘れてずっとつまさき立ちしていたもんだから
久しぶりの「自分」の感覚にほっとする。
地とつながり、
大地とつながる身体があることを実感すると、
人は「我」に戻るのでしょう。
もしかすると、そんな小さなことが
ごくごく当たり前にできることの再発見が、
幸せというものなのかもしれません。
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