—- 以下、バシャールの名言より抜粋—-
ポジティブエネルギー、ネガティブエネルギーという言葉を使います。
正しいとか間違っているとか、邪悪であるというような言葉ではなくて。
いいとか、悪いとかいうのは主観的な価値判断だからです。
どのようなエネルギーが使われているかで、言い表します。
例えば、ポジティブなことをしている個人が悪いことをしてると考えるかもしれません。
あるいはネガティブな行動をしている人が正しいことをしていると思うかもしれません。
正しいとか悪いとかいうことは、ネガティブなエネルギーを使っているか、ポジティブなエネルギーを使っているかの説明にはなりません。
ネガティブというのはいつも隔離して、分離して、部分部分に分かれてしまう行動のことです。
それはパワーを取り除いてしまうことです。
ポジティブというのはパワーをひとつに集めること、統合すること、そういう創造的なエネルギーをひとつにすることです。
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この文章がとてもわかりやすくて好きなので、
今日はこれを元に、わたしなりに
◎ポジティブとネガティブ
について解説したいと思います。
そもそも、ポジティブとネガティブは西洋的な考えで
東洋的に考えるとそれは陰陽の関係であることがわかります。
もともと、日本は東洋的な思想がメインでしたが、
明治維新以降、西洋文化が入ってきたことによって混合し、
いまの資本主義社会が基本的な社会概念となってからは
「ポジティブ、ネガティブ」という言葉の方が主流となり、
陰陽という概念がなくなってしまったように思います。
(あくまでも個人的な意見)
つまり、
ネガティブ・ポジティブという考え方がメインとなると
「良い・悪い」という印象が強くなり、
ありとあらゆる物事に対してそのような視点で見てしまうことが
増えてしまうということです。
「全体ではなく、切り取られた一側面だけ見てしまう」
ということ。
陰陽にはもともと「良い・悪い」があるわけではなく、
ただの裏と表、外面と内面、といった
「側面の違い」があるだけで、本来それに対して劣等がつけられるわけではありません。
陰陽という感覚でいると、
ものごとを「ひとつ」として捉えることができます。
しかし、
ネガティブ・ポジティブ、と聞いてしまうとどうしても
ポジティブ→良い
ネガティブ→悪い
という印象が生まれてしまい、
物事を全体として捉えられなくなってしまうのです。
これをたとえ話にするなら、感情が最もわかりやすい。
例えば
ポジティブな感情、
ネガティブな感情、
と言ったりしますよね。
陽の感情、
陰の感情、
とはあまり言いません。
そうすると人々は、
「感情」に劣等をつけるようになります。
ポジティブな感情が良い、
ネガティブな感情が悪い。
結果的に
ポジティブな感情を抱く自分は良い、
ネガティブな感情を抱く自分は悪い、
となってしまうのです。
で、どちらか一方だけ集中して見てしまう。
意識が偏ってしまいます。
全体像が見れない、ということ。
結局、どれだけポジティブシンキングだけをしていようと、
それは本当の意味でのポジティブ性(統一性)はなくなるのです。
でも、感情はもともと優越も劣等もありません。
喜びと悲しみはただの「側面」の違いなだけであり、
そのどちらにも良し・悪しはないのです。
とっても悲しい時。
それは一側面。
悲しみが生まれている時、
反対側には必ず「喜び」も隠れていたりするのです。
憎しみだって、
「愛」がなければ生まれません。
罪悪感だって、
「責任感」がないと、生まれないのです。
ネガティブ・ポジティブの通常のイメージ通りに物事を考えてしまうと、
自分が経験するすべての物事が
「良い・悪い」で切り分けられ、
無意識のうちに良いものを目指し、
悪いものを排除しようとしてしまいます。
これが、人の不安や恐れ、迷いや疑いを生んでしまうのです。
—
最初の方の引用文で書いてある通り、
本来ポジティブもネガティブもそれはエネルギーの状態の違いであり、
分裂して途切れ途切れだとネガティブ
統合されて、統一されているとポジティブ、
という風になります。
ちょっと難しく思える方は、
こう考えてみてください。
例えば、
ネガティブな感情と言われがちな
悲しみ・寂しさ・迷い・不安・疑い・葛藤
などを感じている時、
その人は物事を分裂して捉えてしまい、
エネルギーが途切れ途切れになります。
そうすると、あぁでもない、こうでもないと考えてしまったり、
行動が止まってしまい、滞ってしまったり。
血液がドロドロしているとうまく流れないのと同じですね。
そこには統一性はなく、集中力がなく、プツプツと切れてしまう。
逆に、ポジティブな感情と言われがちな
喜び・楽しさ・ワクワク・嬉しさ・感謝・愛
などを感じている時、
人は物事をひとまとめにして捉えることができ、
出来事や現象のつながりが見えることができ、
そして、全体を捉えることが容易くなります。
だから、ポジティブな感情と言われるのです。
ということは、単純に考えてみて欲しいのです。
—
結局、ここで伝えたい大切なことは
「二極」でものごとを考えない、ってこと。
「全体のつながり」を捉えてみること。
「つながり」を感じてみること。
そうするだけで、どんな状態であってもそれは
「ポジティブ」なものに変わります。
たとえ今、たいへんな問題を抱えていても、
『それだけ』に過集中してしまうと、エネルギーがブツブツに。
ネガティブ性を帯びてしまう。
しかし、
たいへんな問題を抱えている「今、ここ」の状態を
もっと「全体的」に見てみる。
もっと、つながりを感じてみる。
そうするだけで、随分とエネルギーの質が変わるよ、ってことでもあるのです。
—
足にヒビが入って、身動きが取れなくなりました。
予定していた大事な用事も、動けなくなったのでいっきにパーです。
さらに言えば、大事な用事のために1週間あけていたので
それがなくなったことで1週間、ガランと空いてしまいました。
その出来事だけをみると、ネガティブな感情も出てくるし、
自分自身がネガティブ(分裂したエネルギー)になります。
でもね、全体を見てみるんです。
そういうときは、今ここを
一本の川の流れのただの一点だと捉え、
全体の流れを、感じてみるのです。
すごく抽象的な話ですが、
それをするだけで、ガラッと視点が変わる。
「何の問題も、ないやぁ」ということが、わかる。
一点集中、ではなく、
全体の中の一点である、
というつもりで「今、ここ」を大事に生きる。
それが、究極な話
「ポジティブな生き方」ってことなんじゃないかと、思うのです。
—
いい気持ちになっても、
悪い気持ちになっても、
単純な解釈で自分に劣等をつけ、ダメ出しをし、
今の自分を差し置いて理想の自分を掲げて前に進もうとしない。
今の自分は流動的に変わっていく。
今日はこんな感じでも、それがずっと続くわけじゃない。
ときは流れ、
変化は少しずつ続き、
どんな状況であったとしても
「全体としての一部」の今日、今、この瞬間というものは
常に完璧なのです。
それを自分の意思で認識し、
捉えてみる。
あっという間に、違う視点に切り替わるでしょう。
今日は、めずらしく(?)
だいすきなバシャールせんせいのお言葉をかりて
ずいぶんと抽象的な話をしてみました。
読み込みすぎず、
行間を捉えてみてくださいね。