日々、生きているといろいろな「言い訳」に出会うことがあります。
自分自身の中にある言い訳。
人の言い訳。
「いいわけ」というものは、ひとつの防衛本能のようなものですから、
どんな人でもあっていいと思うのですが、
この言い訳、実はとても使い勝手がいいものなのです!
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わたしは、自分の中から言い訳が出てきたときは、
その言い訳を我慢せず、言い訳する自分を否定も肯定もせず、
言い訳しながら、そっと自分の心の奥に意識を向けることにしています。
例えば、今の自分に対して何か無意識に否定していて、
それをごまかすために「過去」を持ち出し、言い訳にすることがあります。
よくある言い訳の代表ですね!
今までこうだったから。
こういうことばかりだったから。
わたしはこういう経験をしてきたから。
過去が言い訳になるとき、
やはり要チェックなのが、
今の自分の状態です。
言い訳は、「今の自分を保護」するためにあるし、
もっと言うと「今の自分の無理・限界」を教えてくれるものでもあるからです。
だから、言い訳しながらも、そっと自分に対して素直になってみるんですよね。
何か無理していないか?
何か頑張りすぎていないか?
何かの本音を放置して、考え方や固定観念に合わせて生きることを選択していないか?
そうやって、素直になってみるのです。
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言い訳をするな!というわけではありません。
逆に
言い訳をしたらチャンス!
なんです。
自分の中にある
「絶対◎◎したら~~になる」
をとことん疑える、とっても良いチャンス!
そんなもんだから、今ではわたし
言い訳をする人を見ても、なぁーんも思わなくなりました。
逆に、自分以外の人の言い訳が気になる(気に触る)ときも同じですよん。
「あの人、言い訳ばかりして!(プンスカプンスカ!)」ってなっているときって、
だいたい自分が言い訳したいのに言い訳していない状況ですから。
そんな人が現れたな~
(というか、自分が意識でひっかかっているな~)と思ったら
潔くその対象に対して
「おしえてくれて、ありがと。じゃねん!」とサヨナラを告げ、
自分のことを、考えてみるといいでしょう。
言い訳をしていても、心のどこかでは傷ついたり、
限界がきていたり、
我慢がもうしんどかったりするのです。
不安や恐れを表に出さず、
それを感じないようにしていると逆に言い訳が増えます。
言い訳上手になっているとき、
自分から逃げることが上手になっている。
足りないものや満たされていない状況や、
ないない、と思っている現実のせいにしてもいいのです。
でも、
それらはいつだってわたしたちの「ため」に
言い訳の対象になってくれているってこと、意識しているといいですよね。
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ちなみに、人が言い訳の対象にするもの
(というか、言い訳するときに人が頼りにするもの)は
・お金
・時間
・過去
なんです。
お金がない、
時間がない、
過去がどう、こう、
これ、誰もが一度は言い訳に出したことがあるものですよね?
例えば自分がお金になってみたとしましょう。
あなたがお金を言い訳にしているとします。
お金は、
「あなたのため」に
「言い訳の理由」に、なってくれている。
それだけでも、お金ってすごい悪役を買ってくれているなって思いますよね。
時間も同じ。
時間を人間だと考えたとき、
時間を言い訳にする人のそばに、相変わらず時間は寄り添ってくれています。
いくらその人が時間を言い訳にしようと、
時間はいつも自分の人生を流れてくれている。
お金もそうだよね。
どんだけ言い訳にしようと、そこにいてくれるし、ある分には、ある。
自分の性格だって過去だって、同じなんです。
言い訳にしているその性格や過去が、
どれだけ言い訳にされようと、辛抱強くそこにいてくれる。
言い訳していても変わらない、ということは誰もがよく知っていると思うのですが、
よくよく考えると
(というか、擬人化してみると)
全く違う風景が、見えますよね。
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かつて、ある人にある質問をされました。
「ゆかちゃんは、過去の痛みや傷がどうして存在すると思う?
どうして手放せないのだと思う?」と
そのとき、まだ22歳だったわたしでしたが
「その過去や痛みや傷が、
唯一その人に寄り添ってくれるものだから」
と答えました。
26歳になった今でも、
その感覚は忘れていません。
なんだかそんなことを思い出して、
いやはや、
今の自分がどうであれ
言い訳をしようとしなかろうと、
今ここにあるすべては
自分に寄り添ってくれている。
それだけで、ありがたいな~なんて、思うわけです。
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