完璧を求めると、何もかもがしんどい。
でも、統一性があればよいのです。
完璧な自分より、
統一された自分。
その自分を見つけることができたとき、
完璧であることから解放されるということです。
トータルコーディネート、ということばがあるように、
自分のひとつひとつの部位を切り取ると、ぜんぶ、ちぐはぐで
形もどこかおかしくて、バラバラで、とてもじゃないけれど不完璧です。
顔と身体、骨の太さや足の長さ、手の長さ、ゆびの太さ・・・
ひとつひとつの部位に、完璧なものなどありません。
でも、そのひとつひとつが繋がっている様を見、
全体を眺めていると「バランス」というものが見えてきます。
統一性、というのは
つながり、と同じ。
自分のひとつひとつが、つながっていることを見ると、
別に顔が完璧じゃなくても、
手の長さが完璧じゃなくても、
目の大きさ、口の大きさが完璧じゃなくても、
これでいいんだ
となります。
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髪型もおなじ。
ショートヘアが似合うひともいれば、
ロングヘアが似合うひともいる。
この世の決まりごとで、
ショートヘアはダメで、
ロングヘアがOKだなんてのがあったら、
たちまちみんながロングヘアにするでしょう。
男性も、こどもも、おじいちゃんも。
みぃーんな、ロングヘアになります。
(いやだよね。笑)
で、ショートヘアが似合うひとも
ロングヘアになったりするから、
似合わなくて、悩んだりします。
しかし、
「でも・・・これが当たり前だから」といって
自分がダメなんだ、
ロングヘアが似合わない自分がダメなんだ・・・って
完璧になれない自分にゲンナリするのです。
いや、切ればええがな。
ってはなしなんですが、
そこにはやはり
ロングヘアしかダメ、という常識や思い込みがあるから、
似合わない自分をダメだと思うこと以外、思いつかなくなってしまうのです。
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これとおなじことが、
個々の中でもおきています。
それぞれの中には、
無意識に覚えてしまった常識があります。
無意識のうちに採用している法律があります。
潜在意識の中に、それぞれが決めた「ふつうはこう」
という規則があります。
でも、自分がもともと持ち合わせている素質、性質、形、が
それらに合わないと
自分は完璧ではないと、萎えてしまいます。
完璧性より、統一性。
それはつまり、
「こうであるべきかどうか」ではなく
「自分に似合うかどうか」を見つめましょう、ということ。
似合っているなら、
ちょっとしたところが歪んでいたとしても
ぜんぜん、気にならなくなる。
ロングヘアじゃなくて、ショートヘアが似合うのであれば
これがわたし、これでわたし、が生まれる。
だからこそ、そこには常識ってもんが通用しないんです。
常識から解放されると
その人らしさが滲み出てくる。
何かにとらわれていたら、
常にそれを疑ってみてくださいね。
自分自身の統一性が高まることを、
自分らしくなる、とも呼ぶのかもしれません。
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7月25日(月)@東京
流されていきよう、流されて働こう。
そんなあり方についてお話しします。