去年の過去記事。
ラスボスを倒した話。(*´?`*)
なんかすでにもう、懐かしい。笑
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先日配信したメルマガの編集後記でこのような内容を書きました。
(登録後バックナンバーが読めます。)
■編集後記
先日ですね、
いろいろありまして、自分の中で
人生の一番のベースを占領していた
”ラスボス”的なもんを倒しました。
ええ、わたしのラスボスは、
”生きていてごめんなさい”でした。
ずっと、これだけは
どうしても手放せなかったものの・・・・
あることがきっかけで、
あることがあって、
ついにご対面。
そして、ラスボスを倒した(思う存分味わった)あと生まれたのは…
”生まれてきてよかった”
”産んでくれてありがとう”
”育ててくれてありがとう”
”ありがとうありがとう”
全てに対するありがとう、でした。
この話はまたいずれブログなどでシェアしますね。
でも、この一件でわかりました。
やっぱり、すべての出来事は愛に導かれて
うまくいく方向にしか、流れていない、と。
^^^^^^^^^^^
…ということで、ブログでシェアしたいとおもいます。
少し長くなるので、お時間あるときにどうぞ。
■
わたしも含め、ほとんどの人は
自分自身に”呪い”をかけて生きています。
もちろん、
それから解放された人もいるとおもいますが、
ほとんどの場合、苦しみや葛藤や辛さというのは
この、自分自身にかけている”呪い”によってもたらされます。
自分に自分で無意識にかけている”呪い”は、
呪文を自分にとなえたり、
映像を自分に見せたりすることで
どうにか自分自身を操ろうと、
コントロールしようと、
我が物にするべく、あれこれ手を使って
支配しようとします。
「ほーら、やっぱりダメじゃん」
「だからあなたってダメなのよ」
「みてみて、あなたのこと笑ってるよ」
「みんなあなたのことが嫌いなんだってさ」
「想像してご覧。こうなってしまうよ、どうする?」
「イメージしやすいように見せてあげるよ、ほら」
まるでそんな感じで
悪魔のささやきが自分の中で聞こえる。
わたしたちは、その声に逆らう術を知らず、
ただただ聞こえるがままに、
ただただ見せられるがままに、
自分をしばりつける呪文や映像たちに苦しめられます。
■
呪いをかけようとしている自分は、
何かしらの強い疑惑や不信、
あるいは深手の傷を負っているのですが、
実はそんな自分自身さえも呪いにかけられているとは、気づきません。
ややこしい話ですが、
呪いをかけてくる自分もまた、なにかの呪いにかけられています。
そして、忘れてしまうのです。
信じることを。
諦めないことを。
望むことを。
そのままでいることを。
呪いをかけてくるやつは、
だいたい怯えて怖がって、そしてひとりぼっちで、さみしがっています。
そんなやつが、だいたいどんな人の中にもいるのです。
あなたの中には、どんなやつがいますか?
どんな呪文をかけられたり、映像を見せられたりしますか?
■
すこしわたしの話をさせてください。
今まで、潜在意識のことを学び、伝え、
体験を通してさまざまな仕組みを理解してきたわたしは、
自分の身を通してさまざまなヒーリング方法やセラピー方法、マインドリセットの方法などを試し
いろいろ調合して自分独自のものを開発したり、
それを伝えてみたりしてきました。
もちろん、仕事として自分も伝えている身なので
真剣に、自分自身について取り組んできたと思います。
脳波測定したりね。笑
(ELMプログラムで脳波測定した結果はこれ)
自他ともに潜在意識にはたらきかけながら、
自分で自分にかけた呪いにたいして
とりくんできた約7年間。
ひとつひとつ、自分にかかった呪いをとってきました。
そして、呪いは解かれた。
すべて。ひとつ残らず。
・・・と思っていたのですが。
残っていたのです。
ちょこんっと。
それが、ラスボス。
そう、
今までわたしに呪いをかけていた
張本人、それがラスボス。
今までわたしにたくさん呪いをかけ
わたしの中に隠れていた、ラスボス。
わたしが自分で解いたのは、このラスボスがわたしにかけた呪いや呪縛たち。
でも、肝心なやつが、まだいたのです。
そう、それが、ラスボス。
■
ラスボスとご対面する直前、
わたしは自分ではどうしようもないほど
気分が落ち込み、
生きているというそのものに絶望し、
あー、なんだこれ
と思っていたのですが、
そこから数日間の間、
いろいろな事件が勃発
内容は、
パートナーとのことなので割愛しますが、
割と危機的状況でした(個人的に)
で、あることがきっかけにラスボスとご対面。
このラスボスは、ものすごい負のエネルギーと絶望のエネルギーを放ちながらも、
すべての生命力を吸引するブラックホールみたいなかんじで(伝わるかな?)
とにかく、すんげー、対面しているのがつらい。(ラスボスなだけに)
ダースベーダーみたいな(笑)
(ネットより拝借)
もう、とにかく、ラスボスとご対面した時は、愕然としました。
■
わたしのラスボスは、
「生まれてこなければよかった」と信じて疑わず、
「生まれてきてごめんなさい」とぶつぶつ呟いて、
「生きていることがそもそも罪」と感じながら、
「誰かわたしをた助けて」と言えずに。
「お前も道連れだ」と、わたしに呪いをかけていた。
まぁ、さみしかったから仲間がほしくて、
わたしに同じような呪いをかけて安心していたのでしょうね。
「あなたはわたしと同じように、生まれてこなければよかったのよ」
「あなたはわたしと同じように、生きていることがそもそも罪よ」
そうやって呪いをかける。
”生まれてこなければよかった”
それなのに、
”いま、生きている”
という矛盾の中で、
呼吸をすることそのものが
もはや罪である”ラスボス”は、
必死に、いろんな小技を駆使して、
わたしを騙そうと騙そうとしていたんだということに、気づきました。
■
胸がはちきれそうになり、わんわん号泣。
最初はラスボスが怖くて号泣。
自分の中にそんなもんがいることを知って、わんわん号泣。
ずーっと号泣していたわたしは、
ラスボスに身体を貸しているような感じで、とにかくすんごいエネルギーが内側から出てきた。
涙とともにラスボスの放っていた
強烈な罪の意識と、なぜじゃあ生まれてきたのだという疑問、
そしてどうすればよかったんだという長年の混乱のエネルギーは
わたしの涙(とはなみず)に変わって、どんどん流れていった。
しばらくすると、
涙はまったく枯れないのですが、
強烈な罪の意識などが終わったのか、
急にラスボスが
「生まれてきてよかったああああ”あ”あ”あ”あ”ー」
みたいなこと叫び出した(笑)
身体貸してるこっちは混乱っすよ(笑)
泣きながら今度はありがとうですからね(笑)
途中から、涙のわけは
”生きていることへの感謝”
”生まれてきたことへの感謝”
”育ててくれたことへの感謝”
へと変わっていました。
■
両親や祖父母にありがとうと
おもったことはありますが、
自分自身が生きていること、
自分が存在しているということ、
自分は生まれてきたんだということ、
”そのもの”に感謝をしたことは
いままでなかったかもしれません。
あったとしても、
わたしは◎◎をしたから、生きててよかった。
◎◎を言われて嬉しい、生まれてきてよかった。
というように条件付きだったかもしれません。
しかし、
内側から溢れる、あの感覚は
なんとも言えないくらい、
ただただ純粋に、
わたしは生まれてきて、
そして生きているということに対して
何が、とか
誰が、とかじゃなく
ありがとう
と思えた感覚でした。
■
さぁて、この体験はとても崇高なこととして聞こえる方もいるかもしれません。
しかしですね、
ラスボス倒したって書いたけど、
実はラスボスは倒せていませんし、
未だわたしの中に、います。
というか、
ちゃっかり、統合してしまって、
ラスボスは完全にわたしと一体化してしまいました(笑)
まるで、家を見つけたように。
ただ、ラスボスは自分の中にいて
はじめてわたしという家族ができたかのように
安心しています。
あぁあぁ、自分との結婚てこんな感じなんだな、と
しみじみ実感。貴重な体験だわ、と今感じています。
だからといって・・・
それによって
人生がガラッと変わっただとか
自分が見違えるようになったとか
不安がなくなったとか
嫌なことがなくなったとか
ネガティブな感情が出て来ないだとか
呪文や嫌な映像が流れないだとか
そういう風になったわけでは、ないのですよ。
そうなることが素晴らしいのも幻想。
そうなることが正しいのも幻想。
そうならなければいけないのも幻想。
究極、
どう在っても、いい。
誰かになる前に、
自分でいられることが、そもそもその時点で
完璧。
■
ただね、このラスボスに気づく前にさまざまな呪いを通過していくんだけど、
どうかね、
その呪いを”これは呪いである”と気づいて欲しいとは、
思うのです。
呪いを呪いであると、気づく。
そして、自分にそのような呪いをかけようとする、
深くに隠れている(かもしれない)存在に気づいてみる。
簡単そうで、難しい。
すぐ、聞いちゃうから。
すぐ、かかっちゃうから。
呪いにかけられると、
そうじゃない世界が見えないし、
自分は呪いにかかっていることに気づかない。
でもね、
今、わたし呪いにかかってんだ!って
早々に気づくこと、大事。
呪いはね、
さみしくて、
こわくて、
つらくて、
どうしようもないから、
仲間になって欲しくて、
あなたに気づいて欲しくて、
言葉や映像を、流すのです。
どうか、それに気づいてみて欲しいのです。
嫌なことばが自分の中を占領した時。
想像したくないことをイメージしてしまうとき。
自分を責める気持ちがおさまらないとき。(もちろん、他人に対しても)
生きていることがつらいとおもったとき。
”呪いの声の主”に気づいてみてください。
なにかの罪を背負いながら
助けてが上手に言えなくて、
気づいて欲しいから呪文をかけて、
困らせるつもりはないけど
自分と同じ気持ちになってくれると、安心する。
そんなラスボス、あなたの中にもいるかもしれません。
そのラスボスを恐れる必要はありません。
本当は、生きる力にあふれていて、
創造力にあふれていて、
希望や信頼を無条件に持っている、そんな存在。
ご対面したら、おかえり、で迎えてあげてくださいね。
そんな、わたしと、わたしのラスボスの
涙(withはなみず)のおはなしでした。