生きていることによってでしか感じられないことがある。
当たり前だけど、それは人それぞれ。
でも、生きていることがとっても美しいもので
命って、いいなぁ、尊いなぁと思うとき、
そこから生まれるすべてのことに対して同じような感覚を抱くんです。
少なくともわたしは。
頭固い方だし、理屈っぽいし、よくわかんないことはね、信じられないタイプ。
でも、体感に勝るものはないですよね。どんな理論も証明も。
抽象的で具体性はないし
理論とかそういうのも、ことばにするのは難しいけど、わたしは、わたしの命を美しいと思える。
生きている意味を探す必要性がなくなり、
自分の存在価値を残す脅迫に怯えることがなくなった。
まるで歌うように踊るように、わたしがわたしでいていいただそれだけでいい、の中に包まれるようになった。
教えてくれたのは本でも教科書でも誰かのセミナーではありませんが、しかしそれらがきっかけになったのも間違いありません。
美しい、それはビューティフル、とは違うものです。
きれいだとか
整ってるとか
ポジティブとかじゃなくて。
いろんな姿を見せる自分自身
想定外の動きをするわたしの心
わけわからないことが起こり、それに戸惑い
しかしながらもまた、それに対処しようとし
あがき
わめき
ときに立ち止まり、
それでも明日に対して
迎い入れる姿勢をとるわたしに。
どこか、自分自身じゃない誰かからの尊敬の念を感じることがあります。
尊いよ、って言われている気がするのです。
何かを残せているのも残せていないのも錯覚だけど、あなたが生きているということ、それは尊いことですと、
いのち全体から言われている時があるのです。
だから、意識にはなかなかことばにできない
表現できない美しさがある。
それを体感することは
もしかすると、どんなことを学ぶよりも
自分自身が存在していることの美しさを感じることに、繋がるのだと思います。
というわけで、
すでに多くの人が参加してくれているのですが、まだいけます。
わたしは、共有したい。たくさんあっちに教えてもらったことを。美しさを。
自我のフィルターでしか見れない世界の殻を破って。あなたの中にどんな世界が生まれるのでしょう。
それもまた、楽しみなのです。
ぜひ、参加してください。一期一会のこの時間を共に過ごしたいのです。
普段よりとてつもなく抽象的ですが、良質な情報量の多い場になると思います。
さ、それでも世界にYESと言おう。