2年前の無料メルマガよりお届け!
長いです・・・ご注意を!
—————–
【理想との上手な付き合い方】
こんにちは、秦です!
今日はメルマガで「理想」との上手な付き合い方を
お話ししてみたいと思います。
これは結局、
「うまくいかないこと」に対する付き合い方
みたいなものなのですが、
誰の中にもありますよね、理想と現実のギャップ。
そして、「うまくいってないなぁ」と感じることって。
社会的に成功しているような人でも、
表に表明しないだけで、
うまくいくこと、うまくいかないことを
両方同時に経験していると、思うのです。
ただ、自分の中に何かに対する
「うまくいっていない!!嫌だ」
という思考がたくさん生まれてしまうと、
何から何まで、それに染められてしまう。
そんな時、どうする?
どう、方向転換する?
どう、自分を大切にしていく?
それが鍵となります。
—
わたしは、何かが「うまくいっていない」
と感じた時に、必ず見てみる部分があります。
それは
「自分の中にある世界観」
です。
そして、
「自分が本当に求めていること」
です。
以前から、価値観と世界観の違いについて解説していましたが、価値観というのは私たちの判断基準のこと。
「こうすることが良い」
「こうなることが良い」
みたいなものです。
一方で世界観というのは、
必ずしも価値観と一致しているわけではありません。
どちらかというと、この価値観と世界観のギャップが、
理想と現実のギャップになる、という感じです。
例えば、うまくいかないなぁ、と思うことがあったとしましょう。
そういう時って、だいたい
「うまくいったら」世界観的に、ダメな場合があります。
・もっとお金を稼いだら
・もっと愛されたら
・もっと関係性がうまくいったら
何かしら大切なものが、失われてしまうのです。
人との繋がりとか、自分の求めている愛のカタチとか。
あるいは、美しいと思える世界とか。
そういうのが、「うまくいく」ことによって
表現できなくなってしまう。
だからこそ、潜在意識的に
「そうならないように」と、無意識にしてしまいます。
—
わたしたちの現実は、全て世界観によって
形になる、とイメージしてみてください。
その世界観というものは
わたしたちそのものですし、
わたしたちの存在が、ありのままに放っているメッセージです。
人とのつながり…
大きな気付き…
そして、愛と感謝の状態。
これが世界観のベースです。
でも、もし「理想」がそのまま現実になったときに、
この世界観が崩れると、したら…?
この視点で物事をみていくのです。
—
最近わたしにも「うまくいかないなぁ」と
思うことがありました。
その時は、うまくいっていないことに執着してしまい、
それ以外が考えられません。
だから「方法」を考えたり
「手段」を考えたり、
「どのようにすれば」と考えたりして
違う努力をしてしまおうとするのです。
いわゆる、「自分のコントロール」ですよね。
そして、それは「自分への不信感」に繋がっていきます。
人生も、お金も、運も、ツキも、
そして愛も…
「信頼」があるところに、寄ってくる。
自分が人生を疑っているとき、
わたしたちは人生から「信頼」を捨てて見てしまっているんです。
結局、この時の頑張りというのは
・羞恥心を感じたくない
・失敗したくない
・認めたくない
・受け入れたくない
というエネルギーが入り込んでしまう。
そして、やればやるほど悪循環を生み出してしまうのです。
「不信感」の投影。
それが「うまくいかないこと」の投影であるとも言えるかもしれません。
—
何かがうまくいかない、と思ったときは
自分が本当に望む方向性、形、体験したい世界を
今一度、感じてみるときです。
本当にうまくいけばそれでいいと思っているのか?
本当に、それがうまくいけば
自分のハートは満足するのだろうか?
「ほんとうに、そうなのだろうか」
「自分は今、何を信じているのか」
「どこに対する信頼を、捨てて住まったのだろうか」
と、再度問いかけてみるところから、
過剰な「理想」との関わりがはじまっていくのです。
これはちょっと、不快な作業かもしれません。
なにせ、頭では
「いや、ぜったいにそうだ!
うまくいかないことが、全ての原因だ!」と頑なになっているので、それを溶かしていくには、別のエネルギーが必要なのです。
・無条件の全信頼
・受容
・解放
・真実を見つめる勇気
それが、過剰な理想を溶かしていってくれます。
つまり、
「芯からのリラックス」です。
大切なことに気付くときというのは、
いつだってその前に、
たくさんの不必要なもののデトックスと、
過剰な「がんばり」が顕在化され、
それに対して人は「うまくいっていない」
と見てしまう。
でも、どこかできっと無理しているんですよ。
他の誰かになろうと、必死になっている。
ただそれだけのことだとしたら…?
「うまくいかない」ことから、
もう少し別のものを見つけられそうな気がしませんか?
—
大切なものを忘れている時、
わたしたちは目の前の現実が持つ神聖さ、
現実と現実がつながりあって
未来に確実に続いている、という確信、
そして、それに対する安心を見失う。
「このままじゃ、ダメだ…」
この思考が、わたしたちを苦しめていきます。
ですが、一つの点として
また何か別の点につながっている
「ただの通過点だ」
として見た時に、
わたしたちの目の前に現れる「うまくいかないこと」
というのは別の意味をもつのです。
—
わたくしごと、というか
わたしのベースとなる世界観は、
やはり、どの人にも、どの人のどの瞬間にも
その人の美しい心というのが現れている、
というものです。
これは、体験してしまったわけなので、
ゆらぐことがありません。
誰だって、優しくて、愛に溢れていて、
その人なりの「すばらしい」と思う世界を
どんどん表現したくてたまらないわけです。
お金を稼ぐのも、
誰かと恋をして、その人を知りたいと思うのも。
そして表面的には「コントロールしたい」
と思ってあがいてしまうのも、
もっと、もっと奥深くを見ていくと
やはりいつも、優しいもので出来上がっているということが分かるのです。
過剰な責任感を持つ人は、
それをうまく表現することが出来ずに
強く、そしてたくましくあろうとするがゆえ
誰かに厳しくあたってしまうのかもしれません。
強い愛情をもつ人は、
それを誰かに受け取ってもらいたくてしょうがなくって
自分のために注ぐ愛情さえも、
他者のために使ってしまうのかもしれません。
表面だけをみれば、誰でもやっかいな側面を持っています。
上っ面の部分だけを見れば、
批判や否定はいくらでも、出来ます。
誰かや何か、そして自分を信じられないがゆえに
他者に対して攻撃をしてしまうことも、
自分に対して攻撃をしてしまうことも、
本当は、
もっと違う表現をしたくて、しょうがなくって
でも、それが出来ない。
うまく言葉や形に出来ない…。
それだけなのかもしれません。
—
美しさを信じるか。
醜さを信じるか。
ただそれだけのことなのでしょう。
人間関係でうまくいかないときも、
社会的なことや、仕事のこと、
お金のことでうまくいかないというときも、
すべて、信じる方向性を再度問い直せるチャンス。
「わたしは、誰の、何の、どこの部分を、信じたいのか」
それって、自分のハートに気付ける問いかけだと思うんです。
ありきたりな話ですが、
うまくいかないということは、
本当に、それをうまくいかせたいとは思っていない証拠。
それが良いとか、悪いとかではなく、
「うまくいかせなくない理由が、
自分の中にある美しいと思う世界観にある」
と捉えてみましょう。
そうするとね、
「あぁ、わたしは、こういうことを通じて
ここを確かめたかったんだな」とか、
「この現実を通して、こういうことを
表現したり、伝えたかったんだな」
というものが、うっすら見えてきます。
勇気を伝えたい人は、
勇気が出せなくて、つまづく。
愛を伝えたい人は、
愛がうまく伝わらなくて、つまぐく。
あなたが何につまづいていようと、
本質的な価値は変わらない、ということ。
それをまず、自分が信じてみる。
ここが大切なんだと思うのです。
—
うまくいかない、と思うことに今まで教えられたことは
たくさんありました。
その自分を責めている時間が、
恩恵に変わることも、沢山ありました。
視界がガラッと変わった時、というのは
目の前の現実が変わる「前」に、
そこから何かに気付けたときだけです。
そうすると、景色が変わりだし、
心が変わりだし、そして
「うまくいかない」という思考も、変わりだします。
世の中には、沢山の方法があって
わたしたちを
うまくいかない→うまくいく
ようにしてくれます。
でも、果たしてそれだけが大切なのだろうか?と。
果たして、うまくいかない、うまくいかない!と
騒いでいる自分が、
ほんのちょっと満足するだけで、いいのでしょうか、と。
—
ダメ、というわけではないのですが。笑
でもやはり、いつも自分の心が
何を大切にしているのか、気付くきっかけとして
活用したいですよね。
わたしはこの仕事をして、
本当に良かったと思えることたくさんがあります。
その中でも大きかったのが、
「いつでも、自分の信じることを自分で決められる」
と体感で知ったこと。
そしてもう一つは
「誰もが、その人なりの素晴らしい世界観を持っていて、
それを伝えよう、伝えよう、表現しよう、
表現しよう」と
まるで赤ちゃんのように、必死に叫んでいる、
ということです。
それだけでも、なんだか世界が変わりました。
とてつもなく嫌な人にあったとしても、
ざわつくのは自分の表面だけになり、
「きっとこの人も、何か伝えたくて
何かメッセージを持っていて、
何か表現したいことがあって、その通過点が今なんだろうな」
と思うことが出来たのです。
やはり、生きてるって、いいですよね。
(死んででないけど。笑)
いいこともわるいことも、両方あるって、いいですよね。
泣いていても、いいですよね。
あがいていても、いいですよね。
いつもうまくいってなくたって、いいですよね。
いつもうまくいっている、って思っても
いいですよね。
みんな、何かを伝えたくて、生きている。
仕事をしようとしている。
誰かを愛し、愛されようとしている。
うまくいかせようと、している。
いいですよね、そういうのって。
みんな、それぞれに人生の流れと転機と気付きがあって、
いいなぁ、って思います。
だから、私の中には明確な「幸福論」が存在しないし、
答えも提示することは出来ません。
仕組みをわかりやすく伝えるしか、ないのです。
なんだか言葉にすると、キレイゴトに聞こえてしまうのですが、
【それでも世界にYESと言おう。】
ここにやっぱり、行き着くのでした。