今月のハタユカラボは男性性と女性性がテーマなので、その準備中の備忘録として
ここにもシェアしておきます。
【雑感】
人は母を通して自分を知ろうとする。
自分は何者であり、どのようにあればいいのかを探す。
女性性とは自分そのもの、自己そのもののことである。男性にとっても女性にとっても、
うちなる女性性は自己を形成するのに必要である。
男性性は自己以外の、外の世界を象徴する。どう表現し、どう動き、どこと関わるとどうなるか、などの計算をする。
それが未熟なまま男性性のみ開くと、
男性性は目的を知らず、万が一のためにありとあらゆる武器を揃えようとする。
いわば、闘う目的を持たぬまま闘うことだけを目的に男性性は育つことになる。
守るべき自己を知らず、ゴールも持てず。
ただ武器を集め、いつやって来るかもわからない戦いの本番に向けて、ひたすら目の前にあるものを斬っていくことにしか、存在価値を見出すことができない。
斬るものを見失えば男性性は存在意義を失うため、問題ではないことも問題にしなくてはならない。解決こそが、男性性の生きる意味となってしまう。
男性性は、女性性によって、導かれる。
手にしてきた武器たちは、戦いに勝つための道具ではないことを知るのも、女性性を通してのことである。
男性は女性によって開かれていく、というのはそういうことなのではないか。
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