わたしの人生、とある時から
「すべてシンクロだらけだ」と思えるようになりました。
とても不思議なのですが、
「必要なことしか、起こらない」と
体感的に分かったことがあります。
そのとき、潜在意識の深い思いやりというか、優しさというか。
不器用なんだけど
(そりゃ、言葉は話せないからね)
その奥ゆかしい愛に、惚れてしまったのです。
だから今もこうして、潜在意識のことをずっと伝え続けているのですが、
わたしはこの潜在意識ってもんを、
「もう一人の自分」だと思って、イメージしています。
潜在意識と肉体的無意識はここでは
違う、ということにしておきましょう。
肉体的無意識とは、
生まれてから蓄積した記憶の倉庫のことです。
これを潜在意識と呼ぶこともありますが、
肉体的無意識の持つチカラというのは、
わたしたちの基本的な生命維持活動です。
ってことは、
生命を維持することが最も重要な仕事なので、
心臓を動かしたり、血液を循環させたり、
自分が不快だと記憶した出来事を再現しないように、
コンプレックスを生み出したりもします。
全ては、「生命を安全に維持」するためです。
…これって、すごいことでしょ?
コンプレックスも、不安なイメージも、
心理的ブロックと呼ばれるものだって、
全ては、わたしたちのため、なんです。
—
人はそれを嫌がり、難しい顔をしながら
コンプレックスやらなんやらをどうしようかと悩みますが、
そもそも、本来の目的のことを考えたら
感謝するしかないんですね。
潜在意識も、肉体的無意識も、
利己的ではなく、ただ忠実にわたしたちの生命のため
働いてくれているんですから。
その一部やコンプレックスやらなんやらも、
私たちの生命には必要ということです。
—-
おっと、そういうことが言いたかったわけではなかった。
話を戻します。
でね。
潜在意識ってのは、もっとその奥にある
「自分自身の命が持つ意図」みたいなもんだと思っています。
つまり、
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