自分の中で分裂の感覚があると、
人は自分がまるで多重人格のように感じてしまいます。
それに加え、人の頭というのは
「どれが私か?」をすぐに決定したがるのです。
この感情を抱くのは、わたし?
こんなことを考えるのはわたし?
え、こんなことを願ってしまったけど、
ほんとうは違うと思っていて…それもわたし?
どれが、わたし?
…そうやって、「自分探しの迷路」にはまりこんでしまいます。
結論からいいます。
「すべて、わたし」です。
迷うときも、悩める時も、
自分が優しくなれなくて
悪魔のような気持ちでうめつくされるときも。
「すべて、わたし」なんです。
—
でも、やっかいなことに、人間というのは
「自分はこういう人間であるべき」という価値観と、
「こういう人間でありたい」という願望と、
「自分はこういう人間である」というセルフイメージ、
この三つに揺られながら生きています。
ある時は、
「こうあるべき」という価値観に苦しみ、
ある時は、
「こういう人間でありたい」という願望に悩み、
またある時は
「自分はこういう人間である」という事実やセルフイメージに落胆する。
で、その三つが
一日に何回も交わる。気持ちが変わる。わけわかんなくなる。
定まらない。だから人は
「これがわたし、と言える何かが欲しい」とあがく。
でもね。
こういう風にちょっと冷静になって分析してみると
人間ってかわいいもんだな、って思うんですよ。
昨日は価値観に生き、
今日は願望に生き、
明日は事実にどっぷりハマる。
…なんだか、解剖していくとこっけいじゃないですか。
これをねつきつめていくと、
「あれ、何をこだわっていたんだろう」という瞬間がやってくるんですよ。
あれ、価値観も願望もセルフイメージも、
それぞれ違えど、全部自分かもしれない、って。
—
自分さがし、というのは
めがねをかけながら、めがねを探すようなものです。
一度、めがねを外してどこかに隠しておかないと
めがねは探せません。
また、めがねをかけ続けている限り、
自分というめがねは一生目の前には現れてくれません。
でも、
必ずいつも「そこ」にいます。
—
自分探しをやめた人は、
「じぶん」というめがねをかけていることに気付きます。
そして、やっとはじめて自分というめがねから見える景色に目を向けだします。
そこからが、ほんとうの意味ではじまる
「自分との旅」だと思うんですよね。
—
人はどうしても「価値観」という縛りから抜け出せません。
よく「自由になりたい」と言われるのですが、
「自由になりたい」という考え、
価値観こそが最も不自由だということに気付かずに、
多くの人は「はやく自由になりたい」
「お金を稼いで自由になりたい」と言います。
なんて、こっけいなんだろう、と思いながら
わたしはいつも聞いています。
本当に自由になりたいのであれば、
「自由になりたい」という価値観から抜け出すことが必要になるのですが、
今度はこういうわけです。
「自由になりたいという価値観から自由になりたい」と。
…これもなんともまぁ、こっけいだなぁといつも思うわけです。
—
ちなみに、
「自由」という言葉が出てきたのでそれになぞって話をすると、
そもそも私たちが人間として生きる限り
自由というものはやってきません。
例えば、あなたがモンゴルのような大草原に立たされて、
ほら、まっすぐ走ってごらんと言われても、
そもそも、真っすぐ走るためには、何かしらの「真っすぐ」を示す
目印が必要になるわけです。
あんな大草原、ただっぴろい自由な空間を渡されても、
自由さなんて、よくわからなくなってしまうものなのです。
—
不自由という拘束からはじめて自由という概念が生まれます。
不自由も幻想ならば、自由も幻想であるということなんです。
自由になりたい、と言ったのであれば
まずは「不自由」に対してもっと自分で意識的にそれを
疑っていく必要があるということ。
ほんとうに時間はないのか?
ほんとうにお金はないのか?
ほんとうに断れないのか?
ほんとうに頼めないのか?
不自由は、思い違いだ、と思っていたり、
「次のステージにあがるとき」と認識しておくと、
不自由から解放されたいとか、
自由になりたい、とかいう
「最も不自由な考え方」から卒業することができます。
わたしはこれで
もう、今ではこれっぽっちも「自由になりたい」と
思うことはなくなりました。
—
価値観との付き合い方は
誰も教えてくれません。
どのような価値観を持つべきか?を
説いてくれる人はたくさんいるのでしょうが、
「どのように価値観と付き合っていくか?」と
教えてくれる人も場所も、そういう教育も
あまりないというのが事実かもしれません。
ある意味、価値観との付き合い方というのが
自分との付き合い方や、自分の感情との付き合いかたになってくるのですが、
「価値観から抜ける方法、価値観に入り込む方法」
ってのは、
なかなか訓練しないと習得できない体験なのではないか、と思うのです。
…ちゅうことで、
またもや新しい講座が思い浮かんでしまいました。
あかん、仕事が増える(笑)
(↑と書きながら、喜んでいるわたしもいる)
価値観から脱出する方法、価値観へ入り込む方法。
…そのうち講演会でもしようかと企みがはじまりました。
はい。
もう少しじっくり練り練りしようとおもいます。ヾ(@°▽°@)ノ