愛や豊かさというのは、
その人の中に必ず存在していると思います。
もちろん、自分の中にある愛や豊かさというのは
思考でも、価値観でも、そしてもちろん物質的なものでもなく
「存在」や「状態」のことだと思うのです。
何かがあるから、愛があるとか
何かがあるから、豊かである、というのは
その次のレベルの話です。
誰の中にも
愛や豊かさというのは溢れていると思います。
ただですね。
それを内側にとどめておくだけだったら、
たぶん魂は人間になろうとしなかったと思うんです。
というか、
愛や豊かさに気付いたその後は、
それを体言化したり、現実化したりする使命が
わたしたち人間にはあると個人的には思っていて。
それこそが「ただ知っている」だけでは
何もはじまらない、と私が思う理由なのです。
—
もちろん、ただ気付いている
ということはすごく重要なことです。
ただ、自分の価値観に気付いている。
ただ、自分の愛に気付いている。
ただ、自分の思い込みに気付いている。
それは、一番たいせつな基盤です。
でも、
わたしたちの愛や豊かさというのは、
人とシェアされてはじめて実態をなすのです。
例えば、飛行機というものがイメージできたとしても、
飛行機を実際に創りだして飛ばしてみないと、
それは現実的には存在しないようなものです。
確かに内側には
「ある」のですが、
外側には「ない」のであれば、
それはアンバランスなんですよね。
光だけあって、影がない、というか。
だからこそ、
自分の中には愛や豊かさという光があるのですが。
それを現実化させたときに必ず「影」が生まれるということ。
もっと簡単に言えば、
あなたが愛であろうと豊かさであろうと、
それを現実的な何かに創りだし、生み出した時、
それには必ず
弊害や批判、否定などの影もうまれるってことなんですよね。
光は光だけでは存在できないがゆえに、
何かに当てて影を生み出さなければいけません。
だからこそ、愛であろうとするのであれば
それに伴う行動には必ず影が落とされる、ということを
意識してみてください。
—-
なぜ、このようなことを書いたかと言えば、
例えばお金の話。
いくら豊かな思考や考え、
そして豊かさが自分の中にはあるんだ、と気付いたところで、
その豊かさをベースに活動し、
人に対して何かを与えたいという衝動にのっかり、
行動によって現実化させない限り、
その内側で見つけた豊かさは光かもしれませんが、
他人とシェアできる状態ではない、ということです。
その場合、いくら
頭では豊かである、豊かである、と言っていても
本当の意味で豊かであるわけではない、ということなんです。
もちろん、これは私の個人的な主張です。
ただの思考論、ただの概念で終わるスピリチュアルは
わたしは嫌いである、というだけなので、
どうしてもこういう根性論みたいな展開になるのですが(苦笑
愛や豊かさというのは
体現してなんぼだ、って思っているんですよね。
—
だからこそ、
叫べ、って思うんです。
もっと多くの人が叫べ、って。
愛を言葉にし、
豊かさを行動にし、
自分という命を通してそれを体言化する。
それが人間としてのある意味、仕事だと思うんです。
仕事というのはお金を稼ぐということではなく、
自分の中の豊かさに従って行動し、
生み出した何かを人とシェアすること。
その時に頂ける分かりやすい形が「お金」だということなんです。
だから、
まずは自分の中に豊かさ(富)がたくさんあるということに気付く。
その後に、気付いたもののに宿命として
それを多くの人とシェア出来る形にすること。
飛行機のイメージに気付いたとしても、
手を動かさなければそれは生まれないのと同じで、
あなたの中の愛や豊かさに気付いたところで、
それを叫び、それを言葉にし、
仕事や人間関係や恋愛において表現する
自分の具体的な行動に
愛や豊かさを反映させていかなければ、
内側で見つけた光は、
居場所をなくすし、実態がなくなってしまうのです。
—
方法は?と聞かれると
簡単には答えられません。
それは模索しながら見つけるものだからです。
全ての人は問題を抱えた時に、
自分はほんとうは何を模索しているのかと考えることはありませんが、
今までいろんな人を見てきた中で言えることは、
人が葛藤するとき、それは
「愛」と「豊かさ」をどうやって実現するか?
に最終的に行き着くのではないか、と思うのです。
何かに悩んでいるようで、
実は「どのように愛や豊かさを現実に表現するか?」
ということに葛藤している、と。
私自身、そう思うようになりました。
だとしたら、話ははやい。
自分の中に愛と豊かさは既にあるという前提で、
それを今の現実でどのように体言化したいのか?
どのように現実化させたいのか?
実際の行動にどうやって反映させていきたいのか?
それをイメージしたり、
問いかけたりするほうが早いってことなんです。
自分の中に愛があるとか、
豊かであるとか、
そういうのをもう、当たり前にしちゃってください。
で、次のステージにいきましょう。
見つけた愛や豊かさを
他人と共有できる、人に与えられる形にするのです。
そうすれば、おのずと光によって生まれる影も理解できます。
ああ、現実化するということは
影が生まれるということなんだな、と思えば
それもさほど怖くなくなります。
それでも無理な人は叫びましょう。
何を愛しているのか。
何に豊かさを感じるのか。
生きることについてくる
痛みと至福の繰り返し、そのものが豊かさだとしたら、
既に幸せとか、不幸せとか
そういうのは存在しないんだな、ってことも
分かってくる気がします。
—
富と自己愛を見つめようーチャリティー講演会ー
■7月5日、7月6日は札幌に行きます!
7月5日 インテグレートライブ@ラストライブ!
~内側からの変容を、音と周波数で、半強制的に~
7月6日 賢者テラ×秦由佳 コラボトークライブ
秦由佳タイトル
『スピリチュアルはたまにウザい!?これからのスピとの付き合い方、活かし方』
賢者テラタイトル
『信じる者は(足元を)すくわれる』
~ 意識の在り方を操作することで現実を変えようとしてきたのが従来のスピリチュアル。
敢えてその常識をひっくり返す ~