わたしたちは、わたしたちと
分離したり、結合したりを繰り返しながら生きています。
自分自身と分離するとき、というのは、
「自分を感じる」という状態から
「感じた自分を判断する」という認識の状態に移行した時です。
あぁ~美味しいなぁ、とただ思っている時は
「美味しいと感じている自分」とは繋がっていますが、
「このソースが美味しいなぁ」とか考えだした瞬間に、
すでにそこで分離が始まってしまいます。
ここでは別に
分離が悪くて結合が良い、と言いたいわけではありません。
何か物事を判断しないと人は生きていけないですから、
分離と結合を繰り返しながら生きていけばいいわけです。
そこで大切になってくるのがバランス。
分離したまんまで生きること、
あるいは、
分離した状態でしか生きられないでいると、
自分が誰なのか?
なぜ、ここにいるのか?
何をしたいと思っていて
どんな風に生きているのか?
という感覚が薄れてしまうのです。
不安というのは「今、ここ」にいないときに生じる、
とよく言いますが
それは別の表現で言えば、
「不安とは、自分と分離している時に生じる」
ということ。
単純に、
あなたが、あなたであること以上に
ほんとうは立派な理由とか意味とかは必要なくって。
でも、
そこにムダな理由や意味を見いだそうとしたり、
あるいは、今の現状に対して必死に何かの判断をしようとしたり
そういう状態にしか、不安は生まれない、ということ。
だから、
「ただ、受け入れる」ということは
非常に自分を「今、ここ」に戻す効力を持っているのです。
—
今のわたしにも、
不安でいっぱいになることはあります。
どうしようもないこともあります。
でも、その分離状態に焦ることがないのは、
分離している自分、というもの
そのものと繋がっているとどこかで分かっているから。
分離もまた、自分のうちのひとつだということですね。
—-
不安になったら、
不安だ。
こわいと思ったら、
こわい。
切ないと思ったら、
あぁ切ない。
それだけでいい、っていうことのほうが多いんです。
それ以上に理由や正当性を求めるのは、
不安がって恐れにまみれた大人達が
きっといつしか創り上げてしまった架空のルールゆえのことでしょう。
理由や正当性、正解か不正解かという概念は
ただの恐れの象徴ですから、
不安なときこそ、
それらに同調せずに、
ただ自分の感じているまんまの状態に見を委ねていきたいですね。
—-
そうこうしているうちに
「かんがえる」時間と、
「かんじる」時間とのバランスが整ってきます。
決して「感じる」時間だけがあればいいってことではないので、
あくまでもバランスが大切だし、
自分にとっての心地いい比率みたいなのを探してみて欲しいのです。
それが難しいという人は
考える、から感じる、へ移行するスイッチみたいなのを作ってください。
ちなみに私は、
掃除をしたり、
本を読んだり、
散歩したり、
料理したり、
花を生けたりする時間が
そのスイッチとなります。
—–
あぁ~、なんだかんだ、
こういう人生っていいもんだな、と。
うん、けっこうな頻度で
私は感じている気がします。
ぼけーっとしているだけかもしれませんが。
さて、最近はこういう記事ばかり書いていますので
新しく来た人で、潜在意識のことしっかり知りたい人は、
がっつりな潜在意識にまつわるおすすめ記事を書きました。
これ読むだけで、かなりすっきりすると思います。
このブログでは、昔ほど
詳しいことは書かないので…
そこらへんはメルマガなんかで、
随時、発信していきますね^^♪
富と自己愛を見つめようーチャリティー講演会ー
■7月5日、7月6日は札幌に行きます!
7月5日 インテグレートライブ@ラストライブ!
~内側からの変容を、音と周波数で、半強制的に~
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秦由佳タイトル
『スピリチュアルはたまにウザい!?これからのスピとの付き合い方、活かし方』
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『信じる者は(足元を)すくわれる』
~ 意識の在り方を操作することで現実を変えようとしてきたのが従来のスピリチュアル。
敢えてその常識をひっくり返す ~