私たちの中には、純粋意識というものがあります。
この純粋意識というのを、わたしは動画や色々なセミナーの中では
単純に「第三層」と呼ぶこともあるので、
ご存知の方は、そのことを純粋意識と言っているのだ、
と解釈してください。
そもそも第三層とかうんぬんかんぬん、分からない人は
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純粋意識と繋がった状態の人からは
「他人」が消えます。
自分そのものになる、ということは
自分が世界と一体化することですが
言葉の通り理解しようとすると全く頭がおいつきません。
例えばですが、きれいな景色を見た時に、
その景色のことを「理解」することは出来ませんが、
その景色のことを美しいな、と感じたり
そこにくつろぐことは出来ます。
ですから、
自分が「じぶん」だけになることや
世界と一体化することがなんなのか、を理解することは出来なくても
すべての人がそれを体験することは可能だし、
むしろ、すべての人はそれを体験済みです。
ただし、思考というのはその純粋意識とは
かけ離れたところにありますので
純粋意識ではなく思考で生きている時、
わたしたちは「分裂意識」の状態であると言えます。
この分裂意識の状態からは
わたしたちは何もかもに「不安」や「不満」
そして、「足りない」現実を見つけます。
当たり前です。
分裂しているのですから、
つながっていないことを当たり前としている世界しか見えません。
例え、頭でそう言う世界があると理解していても
全く感覚が追いつかないのです。
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ここでは、決して
分裂意識が悪くて、純粋意識が良いと言いたいわけではありません。
ただの仕組みの説明です。
そして、誰もが純粋意識に繋がっているのと同じで、
誰もが分裂意識で生きてしまうこともあるし、
その時間が多いこともあります。
だから、特に気にすることはありません。
でも、わたしがあえて純粋意識の話をしたいのには
理由があります。
単純に、「そこ」が気持ちいいからです。
純粋意識のとき、自分以外のなにもかもがなくなってしまうからです。
…と、ここまで書いてしまうと、
たぶんどっかのスピリチュアルな怪しい話と同じにされて終わっちゃうと思うので
この純粋意識がもたらす「自分だけになる、世界と一体化する」
という境地について、別の表現で解説したいと思います。
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恋愛が一番わかりやすいので、恋愛にしましょう。
誰かのことを好きになったとき。
当たり前ですが、「恋愛」とは「ふたり」でするものだ、
という認識が一般的です。
「相手」がいてこその恋愛だったり結婚だったり
パートナーシップだったりするわけです。
でも、恋愛で純粋意識の状態になった時。
「相手」が消えます。
「相手の存在」は残っているのだけど、
自分の中における「相手」というものが
自分と同じになります。
これはどういうことでしょうか?
好きになったら、相手の気持ちや言葉、態度などが
自分の恋愛に作用している重要なポイントだとみんな思うでしょう。
あの人がこうだから…
あの人がどう考えているかわからないから…
あの人はこう言っていたから…
あの人がこんなことしてくれればいいのに…
とか。
基本的にそういうのが、恋愛です。
でも、ある時、ある瞬間、あるきっかけをはじめとして、
その「あの人が…」が消えてしまうときがあるのです。
そうなると、もう相手の気持ちがどうとか
相手が好きだから嫌いだからとか
相手の行為や状態や環境がどうとかってのが
「自分の恋愛に影響しない」という段階になるのです。
相手の都合を無視する、というわけではなく
「相手に振り回されなくなる」と言う感じでしょうか。
あの人が何を言おうと、自分は純粋にこう思う。
あの人がいいと言おうと悪いと言おうと、自分はこうしたいし、こう言いたい。
もはや、この時点で相手のことは関係がなくなっちゃいます。
純粋に、「自分が相手にどうしたいのか、自分がどうしたいのか」
だけが残りますよね?
それが純粋意識のことなんです。
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そうやって考えた時に、
結構多くの人がそうなったことがあるんじゃないかと思います。
この純粋意識にたどり着く前、
痛みを伴ったり、デトックスみたいに様々な感情が溢れたり、
または問題がたくさん発生して、
「もう、お手上げ!相手じゃなくて自分自身!」と
サレンダーするようなことが起きます。
バランスをとっているんですよね、
分裂意識と純粋意識の間で。
だから、「相手」が消えるんです。
仕事の場合であれば、
「お金」が消えたり、「成果」「結果」
「おきゃくさん」が消えたりします。
仕事と自分が一緒になり、
自分そのものが仕事と一体化するので、
お金があるからどうとか
お客さんがいるからいないから、どうとかっていうのが
仕事となんら関係がなくなっていきます。
ここでも「残るのは自分だけ」ということです。
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スピリチュアル業界でずっと言われてきた
「無我」のことや「空」の考え方、
また、すべては一つに繋がっている、
という表現のことをわたしはどこか、伝えるのに不十分なんじゃないか、
とお持っていました。
体験的には、何が「つながっている」感覚なのか、
何が「すべてはひとつ」なのか、
また、何が「一体化」ということなのか、
わかっているんだけど、言葉の通りでイマイチ伝わってこないなーと思っていたんです。
ですが、ここ最近、この記事のような表現で
ちょっとしっくりきました。
純粋意識の状態では、その名の通り、
「純粋な自分」しか残らない。
それに、
「それだけでいい」と思えるし、
「それしかない」と思える。
相手がどうとかじゃないし、
環境がどうとかじゃないし、
時間とかお金とかじゃない。
大切なのは、「じぶん」だ、と。
そう腑に落ちるのが
純粋意識と繋がることなんじゃないか、って思うんです。
そのときって、すごく気持ちいいんです。
スカッとするっていうか。
「あーもう。関係ないや。
自分がしたいように、言いたいように、伝えたいようにしよう」って。
そう思ったらね、
結局やさしい気持ちしかわたしは残らなかったんです。
あたたかくて優しい気持ちしか。
だからね。
みんなの中にもあるんじゃないかって思うし、
そういう気持ちを思い出しながらまた忘れて、って
繋がったり忘れたりをくり返すんじゃないかと思います。
それでいいし、それがいいし。
そうでいい、という感じ。
そんな、かんじ。
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