一般的に言われる「成功」って、
たぶん、どっかの誰かがかっこつけるために
自分のことを「成功」だと言ったのがはじまりなんじゃないか、って思う。
それを見た人が、オレもオレも!って言い出して、
いつのまにか「これが成功でしょ?」みたいな定義ができた…と。
まったくだ、と若干24歳にして正直思う。
—
「それでも世界にYESと言おう。」が秦由佳のテーマですが(笑
今日はあえて、「成功」という名の呪縛に
NOを言ってみたいと思います。
世の中にはたくさんの成功法則があります。
何をもって成功というのかなんて
時代とともに変化していくというのに、
その法則はいつまでたっても変わらない気がします。
かく言うわたしも「成功」という名の呪縛に
長い間苦しめられてきた気がします。
もちろん、今でもその古傷がうずくことはありますが、
どっかで勘違いした
「成功しなきゃいけない」わたしの声に
今、断固としてNOを言うように意識しています。
—
そもそも、このわたしの「成功」という概念は
どこからはじまったのだろう?と考えたら、
きっとそこはいつだって「愛」がはじまりだったように思うのです。
わたしの中で「せいこう」という言葉を聞くたびに思い出す人がいます。
それは、今年亡くなってしまった祖父の顔です。
彼こそが、わたしの中に強く根付いている「成功」のリンク先。
もっと言えば、
祖父との繋がりが「成功すること」だとずっと勘違いしていたんじゃないか、と思います。
—
人は、人の幸せを願うばかりに、
気付いたら、なんとなくそこらへんに転がっている言葉を使う。
それが、「幸せ」だとか「成功」だとか言う言葉なら、
わたしはいっそのこと聞きたくないと思うし、
そんな不器用な表現でつながろうとする必要もないと思う。
わたしを大切におもい、わたしを貴重な存在だと讃える言葉が
「成功」なんだとしたら・・・。
ほんと、なんて残酷な事実なんだろうと思うこともあった。
—
私の場合は、たぶん特殊ではないのですが
セルフイメージが低いのではなく逆すぎたパターンでした。
お前はすごい
お前はなんでもできる
お前はやれる、成功できる
お前は才能がある・・・
そう言われ続けて育ったため、
そうであることが必然となりました。
褒められれば子は自尊心を養われ、
そしてすくすく育っていく、だなんてことはないんじゃないか、
と個人的には思っています。
私の場合、褒められすぎて、褒められすぎて
(いや、多分、そう覚えているだけなのですが)
格好わるい自分を排除するクセがつきました。
そんな格好わるい自分を排除し、
さらに自分をその「姿」から遠ざけてくれるのが
「成功」という言葉だったように思います。
成功すれば、かっこわるくない
成功すれば、才能がないのがバレない
成功すれば、弱い自分でがっかりさせることもない…と。
22歳ころまでは、必死にその道を目指していたように思います。
今はたくさんの人に恵まれて、
格好わるい自分もたくさんみて、
古傷から学ぶこともあり
自分の中にある「成功」という言葉と上手に付き合うことが出来るようになりました。
でも、きっと多くの人がこれに戸惑いながらも
雲をつかむようにむなしい気持ちを味わっているんじゃないか、と思います。
実体のない目標は、不安を倍増させます。
この「成功」だなんていう
どこの誰がつくってもってきたのかさえ曖昧な定義は、
つかんだところで、
めざしたところで、
自分も誰も幸せにしないんじゃないかって思うんです。
失敗は成功のもとだよ、とかいう言葉も
実はあんまり好きではありません。
だって、失敗した自分を慰める言葉が「成功」のような気がして、
それもまた、なんか違うと思うのです。
—
まぁ、結局、わたしの超個人的な主観になってしまいましたが。
成功を求めなくなったら、
わたしの元にはもっとたくさんのものがやってきました。
いろんな感情がやってきて、
そして稼ぎたいと思うこともあまりなくなったので
お金は減りました。
が、豊かな使い方が出来るようになり、
不安を感じる貴重な体験もたくさんしました。
脱ぎさることが出来ないのは、
きっとまだ祖父のことを引きずっているからか、なんなのか知らないけれど、
チラチラと目の前を行き来する「成功」という言葉が
今でもわたしを強くしたり弱くしたりします。
だけど、YESは言わない。
それでも成功にNOと言おう、と。
最近はそんなことをよく考えるんです。
—
もしかしたら、あなたが今苦しいと思っているのは、
何かしら勝手に思い込んでいる「成功像」みたいなのがあって、
または、本当はそんなのありもしないのに
「成功」という願望を無理に抱いているからかもしれません。
そもそもそんなの興味がないのに、
なかなか言えなかったり。
ビジネスをやっているとね、そんなシーンによく出会ったりするんです。
仕事柄、いろいろな社長さんや
ビジネスで一般的に「成功している」と呼ばれる人に会うのですが、
やはりどの人でもどこかで葛藤を抱き、
うまくいっていない点があり、
そして人間として不完璧な部分が見え隠れする。
そういうのを見ると、
何も答えを求めず、何もゴールなんてつかもうとせず、
毎日毎日くり返される日々の中に
その日限りの大切なものを見つけていきたいと思うんです。
…やや、終着点があいまいですが、
誰かの何かにひっかかりますように。