必要性に迫られて何かをやること自体をやめてみる。
そうすると、本当の自分に出会える。
でも多くの人はその間に訪れる感情の波に耐えられない。
思考のデトックスに耐えられない。
だから、また振り出しに戻ってしまう。
一つの闇を抜けた時。
はっきり分かることがある。
それは、
自由とは責任であり、
責任とは不自由であるということ。
つまり、自由も不自由も一周回って同じところにたどり着く。
人生に幸福など用意されていないと割り切ることが出来た時、
今までの幻想の幸福に対して抱いていたありとあらゆる誤解がデトックスされていく。
痛みとは、通過のサインなのだ。
—
これは、悲しい話だろうか。
それを決めるのは人それぞれ。
はじめから幸福などなかったのだ、と知ることでわたしたちの選択肢はどんどん減っていく。
どんどん減った選択肢は、
最終的に「いま、ここ」を残す。
わたしたちはどうであれ、
いま、ここ、を選択したのだ。
というより、
数多くの選択肢から今を選んだのではなく、
これしかなかったのだ、
と思うことで人は何か、今に対する別の感情を抱くことができる。
—
今、を祝福しよう。
過去にも未来にも、自由さを残さずに。
今、ここを選んだ自分を祝福する。
他にも選択肢があったはずなんて、
そんなの嘘である。
それを選んだのは、何も間違いではなかったと知るため、自分を許すためなんだ。
そうやって、まずは今を祝福する。