手元に残ったものが、果たして価値ある自分の評価につながるのか??
手放したものは自分のものではなくなるのだろうか?
果たして、何を価値だと思って世界を見てるのだろう。
そう、捉えてみると、
結構おもしろいことが見えてくる。
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例えば誰にも良くあることだけど、
貯金というものが
無意識に自分の功績になっている人がいる。
その場合、形ある功績だから、
それを崩したくない、使いたくない、もっと増やしたい、と言って頑なになる。
その時点で、価値というものは不安定になり、
あがったり下がったり、
オロオロしてしまい、ちっとも価値というものに腰をおろすことができない。
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この例でいくと、
私の見解でいけば、貯金とは価値を示すものではない。
そのかわり、
資産、
と呼ばれるものは自分の価値を教えてくれる気がするの。
貯金と資産。
あなたはどちらを形にしている?
それを考えるだけで、実はお金との付き合い方が随分と変わる。
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だけど、もっといいなぁ、と思うのは
目に見える価値と、
目に見えない価値は常に同じくらいある、ってことを
知ることだと思うんだ。
そして、
人は自分の価値をたった数%の顕在意識でしか知ることができない。
後は他の90数%の潜在意識が、知ってる。
だけど、潜在意識は無意識じゃない?自分で意識できないじゃない。
だから…
自分で自分の価値は、全体のたった数%しか認識できないってこと、
知ってるといいかも。
これはつまり、
いくら努力しても、自分のことを好きになることは難しいってことなんだ。
誰もが自分を許せなかったりするし、
誰もが自分のコンプレックス^を持っている。
頭の数%を使って自分の価値を測るより、
心の残りの90数%が知っている自分の価値を信じたいよね。
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じゃあ、どうするか、ってところなんだけど、
多くの人は、数%をどうにかしようとする。
そうじゃなくって、本当は
残りの90数%のタンクに
自分の価値を貯めればいいんだ。
自分の価値をそのタンクに貯めるとき、
わたしたちは自己不信で満タンになりかけのタンクから
入れる器をあけるために
自己不信をデトックスしていく。
その過程が、また、こりゃ、辛かったりする。
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うまくいかないことが続いたり、
自分を嫌いになるようなことが続いても、
未来のためのタンクをあけている、と思ってみて欲しい。
あけたタンクに、
自己不信の代わりに自己価値を貯めたいよね。
抽象的に書いたけど、
自分が表面的に自分のこと好きかどうか、
パッと見える形ある価値が本当に自分の価値なのかどうか、
そういうことよりも、
もっと、自分の90数%の持つ魔法のような力を信用してみよう、ということ。
そういうこと。
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パソコンを忘れて出張に来てしまったので、もろもろの返事や確認が遅くなります。
ご了承くださいませm(._.)m