先日、家の近くにある焼き鳥屋さんのカウンターで
ごはんを食べていたときのこと。
右横には商談中のおじさまたちがいました。
何かおもしろい話をしているなぁ、と
聞き耳を立てていたのですが、
しばらくすると、左隣に、
また別のおじさまたちがやってきて、
ビジネストークをしているではありませんか。
そちらも何やら面白い話をしていたので、
聞き耳を立てていました。
先に述べておくと、
別にわたしは聞き耳を立てることが趣味な訳でもなければ、
ひとりで焼き鳥屋にて
おじさまたちに囲まれるのが趣味でもありません。笑
最初は右となりのおじさまたちの言葉が耳に入ってきたものの、
しばらくすると左となりのおじさま達のことばも
耳に入ってきました。
でも、おいしいなぁ、とひとり食べていたら、
気付いた頃には、どちらの話も聞き取れないほど
耳が何もキャッチしなくなっていました。
ただ、目の前のやきとりだけが残り、
わたしの世界からその「おもしろい話たち」は消えていきました。
そこで人間の耳や脳みそは
おもしろいなぁ、とここでひとり
何やら思ってニヤニヤしていました。
—
右で話していたことも、
左で話していたことも、
ただ、その場で発せられた言葉だけでは
存在しません。
わたしの「中」に入ってはじめて意味を持つその言葉達は、
焼き鳥に心奪われてしまえば、
入らなくなっていきます。
ということは、ごく単純なはなし、
「わたしの中」でしか言葉は生まれていない、
ということになるし、
私の中で生まれない言葉は(私の中に入ってこない言葉たちは)
そもそも存在しないものとなる、ということです。
確かに両端でおもしろい話が展開されていたのでしょうが、
それが私の耳に入らなくなれば、
その「面白い話」も存在しないことと同じになる。
でも、確かにそのおじさま達の「中」では話は進んでいるのでしょうけど、
私の中ではそれは存在しない。
両端ではことばが交わされているだけ。
でも、両端には存在していたとしても、
既にわたしの中には、ない。
だから、
「おもしろい話」というのも存在しないものに、なります。
—
結局、何がいいたいかと言えば
すでに会員の方はこちらからログインしてください。