【やりたいことがない…とか言わずに。】
自分が何をやりたいのか、わからない…。
そういう人って、とてもたくさんいらっしゃいます。
わたしは昔、
「自分がやりたいことは、はっきり決めないといけない」
と思っていたし、
「決まってもいないのに、始めちゃいけない」と思っていた。
それに、
「ちゃんと説明できないことには価値がない」
と思っていたし、
「ちゃんと説明できないから、やりたいことではない」
と決めつけていました。
今はその価値観の真逆をいっているところがあり、
やりたいことなんていうのは、
どちらかと言えば、一瞬一瞬の積み重ねの後にやってくる
ギフトのようなものだと思うのです。
わからないなりに進んでいった人に与えられる
突然のサプライズギフト。
それが、天職とか、本当にやりたいこととか、
使命とか。
例えば今回の海外活動支援。
私たちがやりたいのは、スリランカ支援?
寄付活動?現地の人を助けること?
ノンノン、どれも正解のようで不正解。
これといってはっきりした「かっこいい目標」
みたいなのは、ありません。
ひとつひとつ積み上げながら
「自分たちがつくりたいもの」を
見つける旅路の中にいるようなものです。
誤解を恐れずに言うならば、
「何がしたいのか」はっきりしているからやっているのではなく、
「そこに何かがある」とあやむやだからこそ、
確認する為に、一歩一歩を刻む。
そう、「決まっていないから」歩むのです。
そうやってね、どんどんカタチにすればいいと思うの。
今、これがやりたいと思ったから、これをやっている。
そして、それが何に繋がるかなんていう
確固たるものは持っていなくとも、
一つ一つ積み重ね、自分たちの思いがカタチになることを
見守っていくように、
そうやって、心を開いて行動していきたいのです。
目標設定をしなくなったのは、
今のちっぽけな自分が決められることなんて
そんなにない、と肌を通して感じたから。
それよりも「今」感じるものに素直になっていきたい。
一つ一つの積み重ねによって生まれた次のステップを
着実に踏んでいけばいいと思います。
先のことなんて、わからないよ。
自分が何をやりたいのか、なんて分からない。
でも、一歩に自分の愛を刻んでいけば、
積み重ねたものはきっとやさしい温度で
誰かに届くのだから。
そうやって言葉を書いていきたい。
そうやって行為を重ねていきたい。
今、どれだけ答えがはっきりしているか、が
その人の価値に直結しない、ということです。
わたしはそうやって、のろりと地に足つけて歩んでいきたい。
深呼吸をするように毎日を感じたい。
こどもたちを見ていて、そんなことを思いました。
大丈夫、大丈夫だよ。
いつもいろんな風景から
教えられていますね。