2015年4月の過去記事です!
——–
今の現実は、かつて自分がYESと言った現実。
わたしたちの潜在意識は、
自分がYESを出した現実に対してそれを現象化してくれる。
例え、そんなことをしたつもりはない、
と思っていても
法則は皆に対して平等に働いている。
—
さて、あらかじめ伝えておくと、
今回の記事はちょっと難解で、
むずかしいことも書いているけれど、
後半になるにしたがって
超シンプルで、超たいせつなことに繋がっている。
なので、途中で頭が「?」になっても
ぜひ最後まで読んでみて欲しいのです。
では、いきましょう。
——–
「思考は現実化する」とよく言われているけれど、
これは表現が微妙だな、といつも思います。
思考が現実化しているわけではないが、
現実化した結果に対して、思考は生まれる。
だから、逆に言えば、
現実が思考を創る、ということ。
そのため、はっきりいって思考を変えても
現実は変わらないことが多いのです。
または、変わったり、変わらなかったり…。
それは野球で言えば、
グローブを変えても、試合そのものはあまり変わらない、
ということ。
微々たる変化はあれど、
全体の動きにグローブは関係ないのと同じで、
微々たる違いはあれど、
思考を変えても現実の変化はなかなか継続できません。
では、現実はどこから生まれているのか?
思考から現実が出来上がっていないとすれば、
どこから現実化が生まれるのだろうか?
—
明確でありつつも、あまり
やさしくない回答をするならば、
「そもそも何も現実化していない」
というのが本来だと思います。
わたしたちが「現実化している」と思うことに対して
「意味」という付け足しのタグを外せば、
それらは「なくなる」。
現象に意味や価値をつけているわたしたち。
それを付けなくなれば、
「現実」という概念はなくなり、
何一つ「現実化」することはなくなる。
従って、
わたしたちが物事に対して
常にニュートラルで中庸な状態を保っていると、
何かが現実化するということさえ、
存在することが出来なくなるのです。
現実化の消滅。
つまり、
結果の消滅。
「あるものが、ただある」
というのが、現実化の消滅であり、結果の消滅であり。
わたしたちは、この結果の消滅を体験することで
「あるものは、ただあるのみ」ということを
実感するのだと思うのです。
でも、この世に「現実化」など存在しない!
と大声をあげて叫んでもあまり意味がないと思うので(笑)
現実化の話に戻るけれど、
思考が現実を創っているのではないとすれば、
何が現実を創っているのだろう?ということをもう一度かんがえてみましょう。
わたしは、
「許可」だと思っています。
「許可」が現実化を決めている、と。
つまり
「何を考えたか」ではなく
「何に許可を与えたか」が現実化を創る。
許可は現実化する。
そんな本でも書こうかしらと思うくらいです(笑)
—
さて、もう少し掘り下げてみましょう。
これは、意識の構造とすこし似ている。
例えばわたしが「おなかがすいた」と思ったとしましょう。
その時に、
「おなかがすいた」という意識と
「おなかがすいたわたし」というのは本来
分離しています。
おなかがすいたと思ったときに、
「おなかがすいたわたし」と
「おなかがすいた」という意識(気付き)とに
分離して観察すると、
実はおなかがすいていなかった、
だなんてことがよくある。
でも、ここで単純に「おなかがすいた」という意識に対して
わたしたちがYESを出すことで、
分離していた物が一体化する。
このとき人は
「おなかがすいたから、じゃあ、何かを食べようか」
と次の行動を考えることが出来る。
つまり、
「おなかがすいた」という意識に対して許可を与えてはじめて、
わたしたちは「おなかがすいた自分」になれるわけ。
—
もし、お腹がすいた時に、
その状態を観察し続け、
おなかがすいたという意識を観察しつづけると
(つまり、気付き続けると)どうなるでしょうか。
たぶん、一生何かを食べることがないだろうと思います。
(現実的なことはぬきにして、理屈的に)
「おなかがすいているなぁ、と気付いているなぁ…」の連続。
それは「ごはんを食べる」という現実も生まないし、
「おなかがすいている」という現実にもなりません。
「おなかがすいたなぁ」という意識が
ただある、ただある、ということです。
—
ちょっとややこしく書きましたね。
とにかくここで言いたいことは、
わたしたちは、現実化させたい現象を
いつでも自由に選べる、ということ。
逆に言うと、
本当はいつだって
「これ!」と許可を与えて
現実化しているということなのです。
ただ、ほぼ自動的に、無自覚にそれを行っているため、
自分が現実化していることに気付かないし、
許可を与えていることに気付かない。
この「許可を与える」という行為は
実は頭ではなく「心」でやっているため、
無自覚な場合がほとんどなのです。
(心の筋トレは、その無自覚な部分を
自覚的に行えるようにするってこと)
嫌な出来事がたくさんあるならば、
どこかで自分にその許可をしたのです。
お金がないというのであれば
どこかでそうなることにYESを言ったのです。
冷たくされたのであれば
冷たくされることをどこかで、
無自覚に許可をしました。
それだけなのです、
許可を与えたことだけが、現象として見えるようになるのです。
—
そう、許可したのだ。
—
で、
ここからが大事です。
例え、脳みそのさきっちょで考えるような
「これは良い出来事だ」とか
「これは悪い出来事だ」とか
「これが嫌」「あれが嫌」みたいな小さいことに振り回されようと、
嫌な出来事があったとしても
それに「許可」した自分がいるという前提で考えたとします。
わたしたちは、なんておおらかで
男前で、強くてやさしい存在なのだろう、
と思いませんか?
冷たくされた
→
そうなる許可をした
→
それさえも別に受け入れられるから許可をした
そう考えてみると、
ほんとうに私たちの本質は誰もが強くて優しくて頼りがいがある。
それを知らない小さな思考があるだけなんだ。
だから不幸は何も悪いことじゃない。
ただの、幸せになる通過点として
一時的に自分が許可したことなんです。
「大丈夫、これなら乗り越えられるからどうぞ」と。
—-
そうやって考えたらね、
ちいさい視点で現実を変えるより、
今ある現実を大きい視点で捉え直すことのほうが
大切な気がしてきます。
まぁ、別にあれをどうしたいとか
これをどうしたいとか、
そういうのを考えても全然いいんだけど、
大きな視点でみたときの「変えたいと思うこと」って
ものすごくパワーをくれる。
元気をくれる。
やさしい気持ちになれるんです。
あなたの目の前にあるすべては
あなたが許可したからやってきた現実であるってこと。
だから、それに対してどうこう言う前に、
それを許可した、許可できた本質的な自分が
どんな存在で、どんなにおおらかで
どんなに器がひろく、優しい人なのだろうかということに
気付いてみよう。
現実化を探求する面白さは、
そこから半端なくひろがる。
すばらしい、人間の潜在意識。
面白いです!
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