例えば問題が勃発したとき。
多くの人は、その問題によって出てくる自分の中の
様々な思考や焦り、囚われや感情に
強く反応し、
またその反応に対して
「どうしよう」とまた別の反応を重ね、
自分自身そのものを無意識のうちに問題視してしまいます。
で、どうすればいいか、わからなくなる。
例えば3日前、わたしはある些細なことを聞かれて答えた時に、
ものすごい抵抗感と、
その些細な質問に対してたくさんの思考を感じました。
「こうなったらどうしよう」
「こう思われたらどうしよう」
「嫌な気持ちになったらどうしよう」
と、
起こってもいないことに妄想が走り、
そして、嫌な気持ちになっていき不安になります。
ただその時に、
「これを排出(デトックス)」と思うのか、
それとも
「これを問題だ」と思うのか、
それによって全然後の結果が違ってくるのです。
—
わたしたちの中にあったたくさんの思い込みは
実に小さなきっかけによって
外に現れる。
小さな一言や
小さな現象
ごく些細なことから
人のちょっとした顔色まで、
それを「引き出すきっかけ」のようなものは
実に様々です。
ただ、それはわたしたちに対して
「排出するきっかけ」を与えてくれるだけだとしましょう。
誰かの嫌な言動も、
自分の中に溜まりたまった我慢を放出するきっかけでしかないし、
感じてとめどなく出て来たなら、
それはそれ、ただの発散、デトックス、浄化です。
—
わたしはそうなった時に、
ただひたすらに出します。
おお、出てる出てる出てる~と、確認するの。
「おお、こんなの持ってたんだ」と思うの。
そうすれば、出きった時に
それは終わる。
ただ、シンプルにそれだけなんです。
—
問題だと思うことってのは
自分にとっての、
下剤みたいなものだと思ってみてください。
そう、
便秘の時に
飲むあれです。笑
飲んだら、出てくる。
でも、それを止める人はいませんよね。
誰かの言葉も
誰かの行動も
すべて、それ。
あなたが悪いでも、
相手が悪いでもなく、
膨らんだ風船に
ピッと針がささって、
いっきに空気が抜けるだけ。
そう捉えると、
反応を抑える必要はありませんし、
反応に反応し続ける必要もないし、
自分の嫌な感情や思考が放出されても
それをどうする必要もないのです。
—
何かをきっかけに出て来たのであれば、
出て来たものを、ただ出すだけ。
ちょっとお下品な例ですが、
出て来たうん◎を、ずっと確認するために置いておく人はいませんよね?
だからそうなんです。
出て来た感情や
放出されたものを、
「これはわたしがまだ持っているものだ」
「持っているべきだ」
「必要なものだ」
「どうしてだ」
「どうしたらいいのだ」
じゃなくて。
おー出て来た出て来た。
どんどん、出て来てくれ出て来てくれ
バイバイ~
でいいのです。
—
潜在意識のことを伝えるのは、
その「溜まる仕組み」と
「出て行く仕組み」と
「ためすぎないようにする仕組み」
と、
そして「循環する仕組み」を伝えているだけ。
思い込みがあったって
嫌な価値観があったって
それはあたり前のこと、難しく捉える必要はありません。
逆に、
ずーっと定着してきた
「あなたの思い込みが現実をつくる」
という概念が、ややこしくしているのかもしれません。
法則はシンプル。
「あなたが気付いた思い込み」
は
「既に放出済み」
だから、
「出て来た」のであれば、
それを出るだけ出してしばらく観察し、
トイレの水を流すように、
ジャーッと、手放せばいい。
『あ、わたしこんなこと思い込んでいたんだ~だからか~おもしろい。バイバイ。』
それで全て、終わりなのです。
—
ワークをたくさんつけたからか、変化報告がたくさん。
うれしい。^^