生きている限り不安はなくならない。
挑戦する限り、恐れはなくならない。
さて、どうしようか?
それはどうしようもない。
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真剣に生きようと思う限り、
ふがいない自分は目にするし、
ちゃんとやろうと思う限り、
心配事もなくならない。
さて、どうしようか?
それは、どうしようもないよね。
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不安や恐れが生まれるのは
習慣の仕組み的にどうしようもないことだと思うのです。
世の中にはたくさんの法則があります。
私を含めた全ての法則提示者というのは
不安な姿、恐れる姿を好んで見せません。
でも、それがすべてなのか?
いいえ、違いますよね。
習慣であると知れば、
あとはその習慣とどう付き合うかだと思うのです。
不安になっている自分に
更に不安を重ねているとき、
わたしたちは
ありのままの自分から離れよう、
離れよう、として別の誰かになろうとする。
でも、確実に今、ここで不安を感じている自分は
確かに存在するのですよね?
存在する自分を、いちばんに。
存在しているものを、まずはいちばんに。
そこから、習慣との付き合いがはじまります。
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挑戦しようとしてあがいている姿は美しいものです。
ためらいながらも先に進もうとする姿は
勇敢にうつるものです。
まずは、自分がその目をもつこと。
まずは自分がの心を自分に向けること。
そこからだと、おもうのです。