神様からのでっかいプレゼントは、
いつも自分自身を通してでした。
キーボードに指をおいたとき。
ホワイトボードの前に立ったとき。
たくさんの人の前に立ったとき。
カメラのシャッターに右指をおいたとき。
わたしは、わたしではなくなるのでした。
目と耳と鼻と口と身体すべてを
貸しますので、よろしくお願いしマッス、先輩!!!
そんな感じで、
神様にすべてを委ねてやってきました。
わたしはそれらの時間を通して、
「わたし」というもの、
そして、「わたし」の持つ世界観というものを
見せてもらっていたのです。
これは、ほんとです。
オカルトですか?
ええ、はい、なんでも結構です!!!!!笑
ここだけの話、
(と書いたけど、全世界に公開される時点でこの言葉の意味は何もなし)
23歳のときから4冊、本を出版させて頂きましたが、
いちばん最初の出版のとき、
いろいろなプレッシャーに押し負けて
「はたゆか」が本を書いてしまいました。
そう、「とてもがんばった」のです。
処女作のタイトル「120%心地よい自分で生きる方法」なのに、
本を書いている瞬間が一番心地よくない、っていうね(爆笑)
わたし、がんばっちゃったんだよ。
だもんで、色々その節は大変お世話になったみなさま
&
あの本を好きだと言ってくれるみなさま
&
ドでかい機会を与えてくれた心屋仁之助さん、
あの本はどうしても、売れて欲しくなかったのです。
(ド正直)
でも、ありがとう、救われもしました。
—–
今のわたしがどう考えているのか、だなんて
そんなの普通に頭から聞こえてきます。
おなかすいたなぁ。
今日はなにしようかなぁ。
あの人きらいだなぁ。
あれはいいなぁ、コレはいやだなぁ。
悩むなぁ。辛いなぁ。眠いなぁ。
・・・これはすべて「はたゆか」という
ちいっぽけな自分が理解しているごくわずかな自分です。
ですが、
わたしに神様が降りてくるときに
すべてゆだねて使ってもらったあとに知る
わたしの作り出した世界観に、
まず、自分自身がいちばん、感動しているのです。
そうよ、自己満で、何がわるい?笑
わたしは、わたしの一番のファンなのです。
わたしの仕事の、いちばんのファンだし、
わたしは、わたしの言葉の写真の音楽の講座の…
すべての世界観の、いちばんのファンであるのです。
みなさんは、自分のことや
自分の仕事をありのままに愛してくださいね、と言われて
あたまが「?」になると思うのですが、
わたしからすると、それは
「自分のいちばんのファンでいること」
「自分のおっかけでいること」
「自分の仕事や世界観のマニアックなファンであること」
それが、「自分を愛する」ことの意味だと思っていて。
いちいち自分をけなしている場合じゃないのよ。
心の底では責めてなんかいないのに、
同情買うためにかわいそうな自分を演じることは
自分にたいして、失礼だよね。
これからも、ちいっぽけな「はたゆか」は
神様にすべてを貸すことだけに
(がんばらないことだけに)
集中し、自分を通して生まれる世界の
いちばんのファンでいたいと思うのでした。
(2015年5月の過去記事)