やさしさ、って何だろうと考えていました。
大切にする、される、って何だろう、と。
一般でよく言われる
「愛されたい」という感覚って、
とっても曖昧だなぁ、って思うのです。
その手の本を書いたこともありますが、
商業用だもんで、そりゃあね、
愛される女子になるべく法則を書きましたが(笑
あの本の真意は、別のところにあるんです。
(持っている人は、一番最後のあとがきを読んでみてね)
そもそも、
愛される、って何?
優しくされること?
構ってもらうこと?
付き合ってもらうこと?
話を聞いてもらうこと?
尊敬してもらうこと?
大切にしてもらうこと?
見守ってもらうこと?
養ってもらうこと?
「愛されたい」の解剖をすると
実におもしろいものが発見できたりします。
—
例えば、
わたしたちの「価値観」が生み出す
「愛されたい」という思考と、
わたしたちの「存在」が生み出す
「愛されたい」という感覚は似て非なるものです。
前者は、
「条件クリア」が「愛されたいを満たす」のにたいし
後者は
「条件クリーニング」が「愛されたいを満たす」
条件クリアは、ゲームクリアのようなもので、
必要と思われる武器や力、能力をGETして
一つずつ条件をクリアすることで
「愛される」を獲得する競争ゲーム。
条件クリーニングとは、その逆で
「条件」を一つずつ捨てていくこと。
「愛されるための条件」を
ぽい!ぽい!ぽい!ぽい!って
どんどん、手放していく感じです。
ですから、持っていた武器を捨て、
戦うための力を捨て、勝つための能力を捨て、
捨てて捨てて捨てて捨てて
「なぁんもない!やべ!素っ裸!」
みたいになったとき、
後者の「愛されたい」が満たされます。
—
別に、どっちでもいいんですがね、
前者の「愛されたい」と、後者の「愛されたい」を
誰もが両方持っています。
能力を持ち、条件クリアをする自分に惚れ惚れし、
戦う強さを持つ自分を愛して欲しい。
でも、その一方で、何もかもを持っておらず
何かと戦うことも出来ない、そんな生まれたての自分も
愛して欲しい、と。
男女でも、この比率は違いますよね。
女がきれいでいたがるのは、
前者の条件クリアに美貌が必要だから。
男がつよくかっこよくいたがるのも、
同じく条件クリアに戦う武器や強さが必要だから。
でも、太陽と月の関係のようなもので、
どちらも正反対にいつつ互いの存在を確かめあっている。
「条件クリア」も「条件クリーニング」も
どっちも、どっち。
状況によりけりで、武器をもち、闘いに出て、
条件をクリアすることで満たされる愛を獲得し、
時と場合によっては、すべてを捨て去ることで
絶大な愛を得ることもできる。
どちらでも、いいと思います。
やはり、中庸、真ん中が、わたしは好きですが。
今のスピリチュアル業界も、
心理学業界も、後者の「条件を捨てて無条件に愛されること」を
提唱していますが、
そちらだけが素晴らしいということではなく、
アンバランスになった社会を整えているだけ、だと思います。
だからこそ、依存的に、そして盲目的にならずに
真ん中のポイントを、意識していたいですよね。