すばらしさの基準は思っているほど、低くて、
え?こんなん、
飛び越えるほどのハードルちゃうで?
みたいな感じで、いつも足元に、
ひょいっとまたげばいいだけの
ひっくーーーーーーーーーーーーーーーいハードルが
用意されています。
でも、
・こんなん誰でもまたげるし
とか
・これはちゃう。わたし頑張ってない。
とか
・ていうか、低すぎる。あの人はもっと高いハードルやもん!
とスネて、ダダこねていると、
いっちばん低く用意されている
すばらしさをまたがずにそこで
ウズウズしている状態が続きます。
周りからみたら、
こっけいやなぁ(笑)
と。
あの人、何してるん?
何あのひっくいところを
またごうか、またぐのやめようか、と
うろうろしているんやろう?と
そう見えているかもしれません。
——
隣の芝生が青くみえるとき、
こんな感じなんだと思います。
↓↓↓↓↓
『きっとあの人は、あんなことも、こんなこともしていて、
努力していて、がんばっていて、
たくさんの人を集めていて
たくさんのお金を稼いでいて
それでいい服買って
いいもの食べて、いいところに行けていて…
だから、あんなに青い芝生なんやろなぁ。
全部、その人が、高いハードル飛び越えたに違いない!!!!
いいなぁ~~~わたしも、たっかいハードルくぐるための
美貌と
才能と
お金と
時間と
余裕と
知識と
人気と
なんとかと、
なんとかと、
なんとかがあればなぁ…
いいなぁ…
(心の声:
嫌やなぁ…もっと楽したいけどなぁ…でも
隣のあの青い芝生みたいになるためには、
必要な
美貌と
才能と
お金と
時間と
余裕と
知識と
人気と
が沢山必要やもんなぁ…めんどくさいなぁ)』
↓↓↓↓
っていう感じだと思うんです(笑)
見えている青い芝生のあの人もこの人も
高いハードルを超えて来た…
と見せかけて、
実は一番低くて、すぐまたげばいいものだけ
超えてきたのかもしれない。
けれど、そう思えないときは
用意されてもいない高いハードルを見ようと
上ばかり見て、
既に用意されている
もっとも低くて、容易くて、今すぐひょいっとまたげる
素晴らしいゲートを、
無視しているのでしょう。
わたしも、言われることがあります。
うらやましいなぁ、って。
たのしそうだなぁ、って。
はたさん、いっぱいがんばってきたんでしょ?って。
でも、わたしを
たのしそうに、
じゆうに、
豊かに、
そして、しあわせにしてくれたのは
はっきりいって
「高いハードル越え」ではありませんでした。
いつもすぐ足元にある、
なんてことない、ひっくいハードルでした。
そう、
「今のわたしのままで、またぐことができる」
そんなものばかりだったのです。
高いハードルなんて、いらん。
美貌と
才能と
お金と
時間と
余裕と
知識と
人気と
・・・って、低いものをまたぐのに、必要ないもんね。
ひょいっと勇気をもって
またげば、いいってことなんだと思うのです。
^^^^^2015年の過去記事でした。^^^^^^