—-6月21日配信のメルマガから抜粋—-
さて、みなさんに聞いてみたいことがあります。
「個性」は重要だと思いますか?
「個性」は必要ですか?
そして「個性」は好きですか?
自分の「人格」について、どのように感じるでしょうか。
実はですね、
わたしたちの「個性」そのものが
「恐れ」や「不安」を作っています。
つまり「人格」が「思い込み」を作るので、
「個としての自意識」が生まれた時に
一緒に出来る副産物が「思い込み」なのです。
では、個性を残したまま
思い込みだけなくすことは出来るでしょうか。
人格を残したまま、恐れだけなくすことは
可能でしょうか。
どうでしょう。
出来ないですよね。
恐れも不安も、「何かに対する拒絶反応」です。
でも、「個性」というのは
「何かを特別に残し、何かを排除する」という仕組みで
出来上がっているので、
結局、自分が自分であろうとするときに
思い込みはなくならない、ってことなんです。
それなのに、
「自分らしく生きる」ことはOK、
でも、
「思い込みを持つ」ことはNG、
みたいな風潮がありますよね。
これはまったくおかしな話なんです。
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例えば、自分のなかに
「邪魔な思い込み」を発見したとしましょう。
この「邪魔な思い込み」がある「せい」で
何かを自分の世界から排除しなければいけません。
例えばお金とか、
恋人とか、仲間とか、仕事とか。
「この思い込みがあるから、
わたしにはこれがない、これができない」
そう思うことって、誰にでもあるでしょう。
でも、
「思い込み」は「人格」が作る、のだとすれば
思い込みをなくすんじゃなくて
「人格を溶かす」ことが必要となってきますよね。
つまり、自分の解放です。
ハートとハートで繋がる、ことです。
防御をやめ、何かを選別(ジャッジ)するのではなく
胸を両手を思考を開いて、受け入れていく…。
そうするとき、私たちは人格を必要としなくなり、
他者との違いで自分の価値を計る必要がなくなり、
そして…思い込みが必要ではなくなる。
じゃあ、人格を溶かす、って
もっと具体的に言うと・・・?
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それは、
きれいな言葉で言うなら、
他人と深く繋がること。
全てはひとつであると体験すること。
でも、別の表現で言うならば
こだわりをなくすこと、個性をなくすこと
「自分らしさ」をなくすこと、
でもあると言えます。
どうでしょう?
語弊があるかもしれませんが、
「わたしたちそのものの存在価値」と
「個性」ははっきりいって一致しません。
個性はただの飾り。
あってないようなもの。
あったらいいな、
くらいに捉えるといいんじゃないか、
と私は思っていて。
いつだって脱ぎ捨てできる衣装のようなものなのです、個性って。
でも、
「自分らしく」にこだわりすぎると、
強い思い込みの反動が出て来て、
それをなんとかしようとする。
でも、それとともに「自分らしさ」が消えていくのも怖いから、
だから、どうしたらいいか、わからなくなっていく…と。
結局、わたしが思うのは、
願望っていうのも思い込みが作るものだから、
なんかもっと上手に付き合えたらいいよね、
って感じなのです。
「わたし、こういう思い込みがあるんじゃないかしら…」
というのに対して
「で?だから?」とあっけらかんとすればいい。
人との違いのみで自分の価値を計ろうとするから、
辛いのです。
人と全く一緒であっても、それはそれで、私は幸せ、と。
心の幸せは他者と違う自分でいることでは、
ないはずなんですよね。
でも、いつの間にか、
比べること、比べられること、そしてその結果が
わたしたちの「すべての目的」を作るようになりました。
がんばる「目的」
夢をもつ「目的」
成功する「目的」
たのしむ「目的」
幸せになる「目的」
それらが、自分の個性を形成するためのもの、
となってしまったのです。
本来は、「目的」など必要なく
ただ一瞬、一瞬の時の刻みだけで良いものを…
ストーリー展開に、自分の価値を見いだしてしまった、
ということでもあります。
—-抜粋、ここまで—-
メルマガのテーマは「願望達成の極意」でしたが、
ここで書きたかった本質は、
「願いがなくなったら、自分がいなくなっちゃうんじゃないか」
と思わなくてもいいよ、ってことでもあるかもしれません。
だからこそ、
自分を苦しめる願望は、捨てて捨てて捨てまくったらいい、と。
この内容の続きのメルマガは、
6月25日18時配信です。
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