ふいに誰かがシェアしてくれたので
2015年6月の過去記事再アップです^^
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都合よく生きる、と言われれば聞こえはアレだけど、
自分が望むものを見つめることをやめず、妥協せず、
まず自分が100%幸せでいられることを
勝手に諦めない、ってことでもあります。
都合よく生きてると、
何かを我慢している人から恨まれたり
勝手に人生諦めた人から妬まれたり、
嫉妬しているだけなのに
変に近寄ってきては自己嫌悪や罪悪感を
ぶつけられたりするけれど、
嫌われる自分も悪くないし、
嫌ってくる人も悪くない。
自分の幸せを諦めて90%でわたしはこれでいいや、って
「どうせ自分はこれくらいでいいだろう」って、
そうしちゃうから、
残りの10%、望んでいないことがそのまま現実化する。
とってもシンプルなんです。
でも、自分の幸せを一番に考えて都合よく生きることを選択するのは
とても勇気がいることで、
色々捨てていく必要があって、
そして、何かと決別しなければいけなくなったりも、する。
ただ、少しもズレを見逃さず
チューニングし続けた結果、そのエネルギーが巡って
ギフトとなって還ってくる。
そういうことを、「都合よく生きる」と
私は呼んでいます。
リラックスすることも、
無理にがんばらないことも、
遠慮しないことも
よい人であろうとしないことも、
ぜんぶ、一括で言うならば「都合よく、生きる」こと。
ほんと、みんながそうなら平和に違いないと、
思うんだよなぁ。
勝手に自分を決めつけない。
気持ちを諦めない。
見えているしあわせが違うならば、
それに妥協しない。「これくらいが妥当だろ」って、言わない。
勝手に自分の可能性を、せばめない。
広く、大きく、無限大に、そして
「理由なんてなく」信じることが出来れば
都合のよいことばっかり起きて
シンクロニシティって呼ばれたり、する。
うまくできているものです。
——
ここまでがFacebookの投稿でした。
更につっこんで説明していきましょう。
「都合良く生きる」って言葉を聞くと、
多くの人が
「わがままに生きる」ことや
「自己中心的」に生きることだと思ってしまって
嫌悪感を感じたり、
この表現そのものに拒否感を感じますが
あえていいます。
「都合よく、生きましょう」。
例えばですが、
わたしは自分の現実に文句を言っている人を
あまり好みません。
愚痴を言う人のことも、好きこのんで
接しよう、会おう、一緒にいよう、とは思いません。
拒絶するほどではないのですが、
その人に興味をなくしてしまいます。
なぜなら、
現実的に悲しいこと、苦しいこと、たいへんなこと
がんばらなければいけないことがあるのと、
自分の現実が「うまくいっていない」のとは
直接的な関係が全くないからなんです。
別の記事でも書きましたが、
「悲しみ」があるのと「不幸」は一致しない。
イコールじゃないんです。
何があって、何がなくて、というものが
自分の幸せを左右しない。
そういう在り方でいたときに、
そもそも文句を言うほどの現実は存在しなくなるのです。
—
ですが、愚痴を言いたくなる時や
誰かの悪口を言いたくなるとき。
そして現実に嘆いたり、
何かに対して深いな感情を抱くことは、ある。
それはそれで、いいとしています。
そういう生き物なのですから。
でも…。
何かに文句が出るってことは、
そこに「自分が諦めた何か」がうつっているってことなんです。
何かを諦めたんです。
勝手に想像することをやめたのです。
気持ちを諦めて
「無理そうだから」
「一般的にはダメだから」
「誰かが違うと言ったから」
そういって、
「想い」を捨てて
大切でもなんでもないものを選んだから。
だから、
「妥協しただけ」
わたしたちの現実も素直に
その妥協した分、文句を言いたくなる結果が
かえってくるんです。
マッチョな話ではありますが、
わたしはそういう意味でも、
いつ、どんな時でも
自分の「想い」を一番たいせつにします。
だって、自分の人生の責任をとるのは
いつだって自分しかないのだから。
自分だけが、自分のことを大切にできる。
それなのに
「自分以外」を勝手に大切にして、
「想い」をなかったことにする。
諦めちゃっているから、
その結果、嘆くような現実を見てしまうだけなのです。
—
講座などでたまにいうのですが、
「今自分が悩んでいるきっかけや
主導権を握っているのが自分以外の何かであるのならば、
その悩みそのものを今すぐ捨てた方がいい」と。
極端な話ですが、
「自分の人生の責任をとってくれないもの」
に主導権を勝手に預けてどうするの、と。
誰かにどう言われるのが嫌だから…と思ったとしても
その「誰か」はあなたの人生を豊かにするのか?と。
その人がもし、自分の人生を、心を
一番に大切に思ってくれる人ならば、
こちらもその相手のことを一番の主導権にしたらいい。
でも、誰もが自分のことでいっぱい、いっぱい。
自分のことしか考えられないのに、
勝手に
「あなたに嫌われるのが怖いから、わたしはやめる」
って、
ちょっと、ちょっと、それはちがう!!!!
となるのです。
会社もそう。
お金もそう。
恋人も、夫も、妻も、上司も、そう。
その人たち、
その物たちは、
わたしたちの人生のことを考えるだろうか。
考えないのに、自分がそれらを理由にして
「想い」を諦める意味があるのだろうか、と。
そうやって考えたとき、
自分が諦めなければ何かが壁となることはないのです。
すべての敵も味方も、
自分の中に、いる。
どうせなら、いつどんなときも、
自分の味方で、いたいですよね。
—
今の現実に、どれくらい心から満足していますか?
どれだけ納得していますか?
「わたしは幸せ」と言い聞かせていませんか?
何を、諦めているでしょうか。
100%満たされたって、
またその上を目指したらいい。
でも、スタートはいつだって
100%、自分に満足。
そこから何もかも始まる。
わたしはわたしを、勝手に諦めない。
わたしはわたしの想いを、勝手になかったことに、しない。
例え難しく思えても
柔軟に考えれば無理なことなど、ない。
だから、
わたしはわたしの想いを、
諦められないのです。
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