春分の日をお祝いして、
そんな日に読んでほしい過去記事アップ!
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人生は、山登りのようなものだ、とずっと思っていました。
頂点を目指し、登り坂を力込めて一歩、一歩、あがっていく。
時には困難もあるだろう。
時には苦痛も、伴うだろう。
山登りをしはじめると、
もう後には戻れない。
頂点まで上り詰める間、
そこには今まで登って来た道のりへの
様々な想いがあり、
足は前へとしか進む事を許さない。
でも・・・
ある時気付いたんです。
人生は、山登りじゃなかった、って。
わたしの人生には、山はなかった、って気付いたんです。
頂点がありませんでした。
のぼり坂も、くだり坂も、実はありませんでした。
そこにあったのは、
ただただ広く、自分を受け入れてくれる壮大な平地でした。
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人生は山登りだ、と想っている時。
困難があってあたり前
苦痛があってあたり前
上と下がいて、あたり前
そして、自分はどこにいる?
今どの地点にいる?と。
周りの人たちを見て
一喜一憂するのでありました。
あの人は自分より1合、上にいる。
あの人は自分より、まだまだ下にいる、って。
あぁ、あの人はもう見えないところまで
上の方にいるなぁ、って。
そういうのを見るたびに、
自分のポジションを確かめるようにして、
前へ、前へ、もっと、前へ
がんばるんだ、ハタユカ。
そうやって、山を登っている
「つもり」でした。
—
実は山なんて、なかった、と。
ただ美しく広がる平地を、
自分が山のように登っていたんだということに気付いたのです。
頂点という課題を課し、
困難をひとつ乗り越えることにより、自分の価値を見つけようとし、
苦痛に耐えた分だけ、頂点に近づいたとホッと
一安心したかと思えば、
その後またすぐに、一歩前へ出す足に重みを感じる。
山登り、やめたんです。
自分の目の前にあるのは、ただの平べったい土地なんだ、と。
そして、わたしはただそこで
踊るように駆け巡りたいだけだし、
同じ平地にいる人も、みなが山を登っているわけではなく、
ただただ、己の道をゆくだけなのだ、と。
そういう風に思ってからは、
たくさんの道具や必要なものを背負って山を登っていた時、
わたしの肩にのしかかっていた
なんだかよくわからないモノたちは、
たった1枚の白いワンピースへと変わっていきました。
—
頂点をめざすこともなければ、
そもそも、頂点などなかった、と気付かされたのは
心身の不調。
というか、限界値を超えたとき。
「あぁ、頂点にたどり着いたわ、わたし」
じゃなくって、
「あぁ、山なんてなかったのに、勝手に登っている
つもりだったんだな」
という安堵感も、やってきたのです。
困難と苦痛があってあたり前の世界より脱却。
それらがあってもいいし、
それらがなくても、いいし。
でも、
「あってあたり前」なのではないからこそ、
困難も苦痛も「有り難い」ものとなり、
感謝する事ができる。
本当に、心を取り戻したのは
この時だったと、思います。
—
がんばるすべてのひとへ、
山を登っているという勘違いから目覚めてほしいと思っているわけではありません。
わたしは、わたしの思った事、
体験した事、
そして自分の感じている世界というものを、
ただ舞うようにして表現したいだけなのです。
そこに、何合目にいまいるのか、と
争う人も必要ないし、
自分の価値を計るための頂点も、いらない。
共に平地で遊び、楽しみ、豊かに舞うような
そんな人たちとたくさん出会いたいと、思うのです。
今日もそんな出会いを求めて。
また新しく舞えるように。