そう感じるべき、と教えられたこと以外を、
リアルに今、感じている。
そんな自分を、受け入れることが出来ない。
そんな自分の感情を、許すことが出来ない。
そうやって私たちは不本意な悩みを持ってしまい、
葛藤や苦しみが生じてしまいます。
「本来はこうあるはずなのに」
わたしは今、そうではない。
「本来わたしはこうなっていくはずなのに」
わたしは今、そうなっていく気がしない。
だから、問題な気がする。
だから、不安な気がする。
だから、ダメな気がする。
だから、許せない。
—
わかるんです。
気持ちはわかるんです。
でも、それは「自分に妥協している」
ことだと思うんです。
被害者でいるのは、楽だから。
自分を好きになれないでいるのは、
いろいろと都合がいいから。
だけど、
自分がほんとうは、だいっすきなくせに、
それを隠している時の周りの人と
心から、笑いあえないわ。
わたしだって、そうだった。
でも、それはやめたのです。
今日は辛口ですが、
どうぞ、責められていると思わず
読み進めていってくださいね(笑
—
理想の自分に「なれるはず」なのに、
または、このような自分で「あるはず」なのに、
どうしてイライラするの?
どうして暴言をはいてしまうの?
どうして嫌な気持ちになってしまうの?
あれだけ勉強したのに、
どうしてわたしは不安になるの?
…って、言うけどさ。
「今がそうであることを
ただ、そのようであるということを
真っすぐ、見てみんしゃい!」
「事実と古い価値観、どっちが大事やねん!!」
と。
理想のほう、
かつて抱いた自分の幸せの定義のほう、
むかし言われたほう、
親に教育されたほう、
って、そっちばっか見てんじゃねー!!!!!
ってことです。
そういう声が、
苦しみや葛藤の声です。
『過去』ではなく、『今』のわたしをみて、って。
こっちむいてよーっていうのが
心の声なのです。
—
過去の幸せの定義を、
今の今にまで持って来ては
自分の変わり変わる状態や心境と照らし合わせて
「わたしは、ダメだ」
「わたしは、自分を受け入れられない」
って、
ど ん だ け 自 分 勝 手 や ね ん
か な り 自 分 が 好 き や ん か
(や、自分勝手なのも、
自分が好きなのも、全然OKなのですが。)
これである!
私の幸せはこれでしかない!
私の目標はこれである!
私はこれを目指す!
と過去に決めた一つのゴールが
今の自分との比較をはじめさせます。
「これが幸せなのに(そう決めただけ)
どうして私は今、こうなの!?」と。
今と過去の幸せの定義の照らし合わせにより、
私たちは未来にでも過去にでもなく
「今、ここ」に不幸と問題を創り出す。
—
いやな感情も、
いらいらすることも、
ちょっとしたことで状態が変わるのも、
心境が変わり、
気分が変わるのも、
今日と、明日で、食べたいものが違うのと、
同じこと。
それくらい、シンプルってこと。
自分が過去、
「これだ!」と勝手に決めつけた幸せの定義が
もし、私たちの今を幸せにしないのであれば。
さっさと、今、自分にとって心地よい
幸せの定義をつくればいい。
今、自由にそれを選択できるってのに
文句言ってんじゃねえ!
幸せのカタチは、毎日変わるのです。
と、ストイックバージョンのハタユカは思うわけです(笑)