わたしはよく、
「秦さんは、どうして自分に自信があるのですか?」と聞かれます。
自信があるか、ないか、と言われれば
「ある」の方の部類かもしれません。
でも、
わたしが自信を持っているのは
「私の力」だとか
「私が持っているもの」だとか
「私の才能」ではありません。
わたしは、わたしの「いのち」に自信があります。
もっと言えば、わたしの人生そのものに、
わたしは自信があるのです。
—
それは決して、
わたしの人生はうまくいく、とか
わたしの人生は成功する、
とか、そういう自信ではありません。
シンプルに伝えると、
「わたしの人生、何が起きても大丈夫」
という絶対的な自信です。
—
なんで、そういう風に思うようになったのか?
それは昨日の記事でも書いたけれど、
この世界で一番やさしいものはタイミングである、
と思っているから。
(だから、何かが起きてても起きてなくても、
そこには目に見えないタイミングの優しさがあると思っている。)
そして、
すべてのものに向けるまなざしが、
すべてを決めていく、
ということを知ったから。
だから、大丈夫だ、って心から思えるんですね。
—
これはもはや、訓練の結果かもしれません。
来る日も来る日も悩みや葛藤や苦しみ、
自分の中の使いこなせない欲望と闘っていたときもありました。
でも、
いつからから、
すべてに愛を見いだす習慣がはじまりました。
それは、目にするものすべてに
やさしいタイミングが宿っていることを
自ら心の目と耳をすませて、
寄り添ってみる感じ。
もちろん、自分自身にむかっても、
やさしいまなざしを向けるのです。
おせっかいなアドバイスでもなく、
解決策を見つけようとしている奴でもなく、
「やさしいまなざし」を向ける。
そこには自分の真心が現れます。
—
様々なワークを通して、そのまなざし、
やさしいタイミングと繋がることが出来るように誘導しています。
良かったら受講してみてください。(無料です。)
今日、いちにち、そんな感じで、過ごしてみてくださいね。